「きっと一生独身だと思い、死んでも周囲に迷惑をかけないように葬式の費用を貯めていた」というロシニョル・啓子さんは、その貯金をはたいて11年前フランスに留学した。39歳だった。駒沢大学で仏教学を専攻、9年間で修士課程まで進んだ末、論文は断念。その後、東京で老人介護の仕事をした。看護婦指導の資格を考えたが、高学歴がネックに。水道橋で事務の仕事をしながらフランス語を習っていた時、クラスの年上の女性から「フランスは女性が独立して花を咲かせられる国」と言われて渡仏を決意。
現在、パリから南東に403km、ドゥ・セーヴル県、人口6万弱のニオール市に住んでいる。ここは相互保険会社の本社がフランス国中で一番多いことで有名だ。
クロードさんと知り合ったのはポワチエの語学学校に通っていたころ。友人宅で出会ってから、一日一通のラブレター攻撃を受けた。93年、ニオールで結婚。救急車運転手のクロードさん、彼の娘さんとの3人暮らし。啓子さんとクロードさんの再婚に反対し、継母に心を閉ざす娘さんに対してはずっと〈意地悪な継母〉だった。「今は彼女も高校生になって自立してきたから接する機会も少なくなりました。これから彼女の実母とこちらとどちらが学費を負担するかの問題がある。離婚は大変です」
現在、地元の企業で日本語を教える。かつては失業者の社会復帰を目的とした職業訓練を受け、写真修復や老人ホームの仕事に就いた。アルツハイマー病などにかかっている老人とのコミュニケーションには関心を持っている。
自分たちの老後も考える。休日は彼らのヨットが停泊しているラ・ロシェル市まで車を走らせる。老後はふたり、海の上で過ごすつもりだ。だから啓子さんは泳ぎを習いにプールに通い始めた。骨粗しょう症の防止も目的だ。クロードさんのもうひとつの趣味は家を買って修復し、貸したり売ったりすること。大工仕事は20年間継続し、現在も自宅と田舎の家が同時進行中。ふたりが口を揃えて「ナイチンゲールrossignolは少しずつ巣を作るんです」というゆえんだ。(美)