パリの料理人、今昔
パリのレストランの厨房には、たくさんの日本人キュイジニエ(料理人)が働いています。
15区のあるレストランでは、一時期厨房が全員日本人だったなんてこともあったそうです。日本からパリにやってくるキュイジニエの今昔をみてみましょう。フランスを代表する料理人ギ・サボワ氏などに師事した後、パリ14区にレストラン「A LA BONNE TABLE」をオープン。オーナー・シェフである河本さんに25年前の仏料理界について尋ねました。
Q:25年前のパリの日本人キュイジニエの世界はどんな風でしたか?
A :当時は、「エトワール会」というのがあって、週一回シャンゼリゼ大通りにあるカフェに集まって情報交換をしていました。料理学校へ行かず、レストランで働きながら学ぶ時代でした。
Q:河本さんが渡仏された1974年頃と現在の料理界の違いはどんなところですか?
A :昔は日本とフランスの料理の内容にもっと距離がありました。今は情報が早く伝わり、こちらでやっていることが日本でもすぐに導入され、料理テクニックに差がない、同時進行の時代ですね。
Q:1ドル360円の時代、やはり裕福な方だけに開かれたチャンスだったのでしょうか?
A :そうでもありません。当時は労働許可が簡単に取れ、働き先さえ見つければお給料をもらって生活することが出来ました。当時のお金で月2000フラン~2500フランというSMIC(最低賃金)でしたが。
Q:日本ではなく、フランスで活動されるのは何故ですか?
A :私の場合、こちらでスタートしましたので、日本人がフランスで何も保証されていないのと逆に、私には日本での社会保障がないからという、単純な理由です。
Q:パリには日本人シェフの仏料理店が5~6件ありますが、最近は更に増えているのでしょうか?
A :ほとんど皆、昔からいる人ばかりですね。フランスは税金が高いから、レストランを経営するのはかなり大変なことなんです。
ミシュランのガイドブック、ル・モンド紙にも紹介され、絶好調の河本シェフ。
「前向きに、ポジティブな姿勢でやればなんでも出来るはず。」と信じることが、彼の成功の鍵のようです。A LA BONNE TABLE
42 rue Friant 75014 paris
Tel. 01 45 39 74 91
在仏3年目、某2つ星レストランで働くWさんに「最近の料理人の傾向」を聞いてみました。
Q:キュイジニエの方はフランスに来て、そのまま厨房に入るケースが多いようですが、語学力がなくても大丈夫なんですか?
A:他のキュイジニエとコミュニケーションをとるのは難しかったですが、仕事の面では料理用語さえ知ってればなんとかなるものなんですよ。
Q:滞在・労働許可証などはどうされているんですか?
A :僕の場合、語学学校に登録してます。それでスタージュ(実習)という形で。
以前、捕まってしまった苦い経験があるので、、。でも、コントロールが来る日はほとんどの場合、事前にわかるし、日本人は捕まっても平気みたいです、もちろ
ん店はクビになりますけどね。手錠ははめられたものの、3時間で釈放されました。僕を連れていった若い警察官は、逆に上の人から「日本人はいいんだよ、知
らないのか、お前は。」と、国別リストなるものをもらっていました。
Q:やはりフランスでの修行経験があると日本に帰ってからメリットになるのですか?
A:いえ、一概にプラスになるとは言えません。最近では逆に「フランス帰りは扱いにくい」とか、「頭でっかちで体が動かない奴が多い」なんて敬遠されてしまうこともあります。
Q:こちらのレストランで働く上で驚いたことは?
A :フランスではかなり若い時(16才)からはじめる人もいて、自分よりもずいぶん若いキュイジニエでも「出来る奴」にたまに出会うこと。
Q:こちらのシェフはどうですか?あなたに影響を与えるようなアドバイスをくれたりしますか?
A :いいとこのシェフは厨房にいないんです。サービスに出てるか挨拶回り、あるいは事務所にいたりするんですね。影響をうけるというのなら、同僚からですね。
日本の仏料理レストランでは、フランス帰りの本場仕込みキュイジニエは必ずしも歓迎されない!
それなのに来る人は絶えないのはなぜ?女性若手キュイジニエ、Sさんは、こんなことを言っていました。
「日本で5年働いていましたけど、料理界はたいへんマッチョな世界でした。料理人は男の職業です。女というだけで、邪魔にされ、差別されます。私は、男性と同等に働くためにフランスへ来ました。」しかし、フランスでもやはり料理界はマッチョだった……そうです。 (ア)