フランスの日本人、フランスの「日本」
時は1615年10月6日。伊達政宗から託されたローマ教皇宛の親書をもった支倉常長(はせくらつねなが)が、悪天候の為にサン・トロペの港に停泊を余儀なくされた。それがフランスの地を踏んだ初の日本人であった。それから4世紀近くたった今、フランス在留邦人の数は2万人を超えている。
これらの人々の活動、歴史、背景を探ってみたい。そうしたことがこの号の企画のはじまりであった。当初、仮にメインタイトルが、「日本人移民物語」と決められていたが、各自の執筆作業が進むにつれ、「移民」という言葉がそぐわないように思われてきた。それで、再提案されたものの中には、「やってきた」、「渡った」という言葉を使ったものがあった。
最初にフランスに来た日本人が偶然に「停泊」した短期の「滞在者」であったように、フランスに長くいる日本人には、「移民」、「移住民」と言う言葉がしっくりこない。とくに「移民」という言葉にはしばしば、「労働」という観念がつきまとっている。
かつて、日本人は「労働」という目的をもってブラジルへ渡ったことがある。しかし、フランスに来た日本人の動機は、「労働」を基準にはひとまとめに出来ない。フランスが例外なのか?ブラジルが例外なのか?とにかく、フランスの日本人は、「滞在者」、あるいは「フランスの日本人」としかいえない。つまり、ただ日本からフランスに移動した、フランスに存在する、ということだけがこれらの人々に共通するのであって、その目的、動機、さらには滞在期間・手段も様々で、一括することはできない。
フランスにおける日本人についてはすでに、パリ第7大学助教授の矢田部和彦氏が、1992年に提出した博士論文「Les Japonais en
France」で、細部にわたりその調査、研究をしている。彼が「フランス在留邦人」とか「フランスにおける日本人移民」という題をつけず、日本語の移民に相当する「immigration」という言葉を使わないのも、単に研究論文に要求される客観的視点があったからだけでなく、フランスの日本人を単一化する事の困難があったのであろう。こうした日本人の多様性が、豊富な資料、アンケートを必要としたのであろうし、研究が多角的に進められたのであって、論文が600ページを越えたのも当然であろう。
このオヴニー、夏の特集号「MOPA」のテーマは、単に「日本人」だけではなく、フランスに在る「日本」である。浮世絵から映画、ちょんまげ袴からコック帽、漫画、タマゴッチ、修道士、禅僧、アーティスト、フリーター、寿司、焼き鳥、すり身、などなど、現在フランスの中に存在する「日本」は様々だ。が、限られた紙面ではその多様性を細部にわたって語ることは出来ないし、ある一面だけとったとしても、その「日本」の日本らしさと、フランスらしさというものを表すことが出来なかっただろう。
しかし、最後まで決まらなかったこのMOPA号のメインタイトルの提案の中で、「遊民」という言葉が出たように、フランスの日本人、「日本」とはそのように定まることのないものに思われる。この夏のオヴニーもまた普段のオヴニーを作っているメインスタッフに「遊んで」いてもらい、サブスタッフが別の意味で「遊ぶ」ものであり、オヴニー自体、得体の知れないものであろう。であるから、ここではそうした特殊なフランスの「日本」の状況を、一言でいおうとはしないし、出来ないだろう。しかし、各自の書いたものからそうした全体の「イメージ」が掴むことが出来れば…というのが、この特集をはじめるにあたっての願いであったし、願うところである。 (岳)
Bibliographie :(いずれもエスパスジャポンで閲覧可)
YATABE (Kazuhiko), Les Japonais en France, thèse de doctorat, école des Hautes études, Paris, 1992.
江上波夫、「騎馬民族国家」、中公新書、1967年。
Le Japon et la France, Publications Orientalistes de France, Paris, 1974.
L’état du Japon, éditions La Decouverte, Paris, 1995.