#MeToo運動やスト、戦争などの火種を抱え、当初は「途中で開催中止になった1968年に似てる」と言う人も現れた第77回カンヌ映画祭。しかし、作品が上映中止に追い込まれたり、誰かの言葉が政治問題に発展することはなく、5月25日に無事に閉幕しました。
最高賞のパルムドールは『フロリダ・プロジェクト』などで知られる米インディペンデント界の異才ショーン・ベイカーの『Anora (アノーラ)』。ロシアの新興財閥の放蕩息子と成り行きで結婚してしまうエスコート嬢が主役のドラマです。記者会見で審査員長のグレタ・ガーウィグは、「審査委員たちは心を重視して選びましたが、この映画は私たち皆の心を捉えたのです。ハワード・ホークス映画のように古典的な構成を思わせながら、同時に、何か予想外な新しいものも感じました」と説明。テレンス・マリックの『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)以来、久々にアメリカ映画の最高賞です。
次点のグランプリはムンバイに生きる看護婦の愛と友情のドラマ『All We Imagine as Light(光として想像するすべて)』。今回が初の長編フィクションとなる若いインド人女性監督パヤル・カパディアによる、繊細でモダンなインド映画です。授賞式壇上では是枝監督が賞を発表しました。インド映画はそもそもコンペ入りが珍しく、今回の受賞は同国の映画史にも大きな足跡を残したことでしょう。
特別賞はモハマド・ラスロフ監督の『The Seed of the Sacred Fig(聖なるイチジクの種)』 。2022年に勃発した反体制デモを背景に、検察官の家庭が内側から引き裂かれる様を描く作品で、最高賞の呼び声が高かった作品です。監督は共謀罪などで禁錮8年の有罪判決を受けながらも極秘脱出、映画祭期間中にカンヌに到着しました。映画以上に劇的な背景を持つ作品でしたが、最終日前日に映画が上映されると、作品の出来が素晴らしく、カンヌの体感温度が一気に上昇した気さえしました。個人的には特別賞より、もっと重要な賞を与えてほしかったです。本作は外部団体が授与するエキュメニカル賞と国際批評家連盟賞も同時受賞しており、現地での熱狂ぶりが伺えるかと思います。
ジャック・オディアール監督の犯罪ミュージカル『Emilia Perez(エミリア・ペレス)』は、審査員賞と女優賞を受賞。女優賞はマフィアのボスから女性へ性転換を図るトランスジェンダー役のカルラ・ソフィア・ガスコンを筆頭に、ゾーイ・サルダナ、セレーナ・ゴメス、アドリアーナ・パスの計4人の演技を讃えるものでした。今年のコンペは女性たちの忘れ難いドラマに溢れ、女優賞はまさに激戦区。一方、男優賞はヨルゴス・ランティモス監督『憐れみの3章』に出演のジェシー・プレモンスが受賞しましたが、魅力ある男性のドラマが少なく、男優賞候補は物足りない印象でした。
今回、日本映画はコンペ作品に入りませんでしたが、別部門で健闘しました。ある視点部門の奥山大史監督『ぼくのお日さま』、監督週間の山中瑶子監督『ナミビアの砂漠』、久野遥子と山下敦弘による共同監督の日仏合作アニ『化け猫あんずちゃん』、山村浩二監督の短編アニメ『とても短い』と、個性豊かな秀作が集まりました。中でも『ナミビアの砂漠』は、監督週間と批評家週間を対象の国際批評家連盟賞を受賞!本作はジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』が元ネタの青春映画で、1970年代に二人の女性に間を漂ったパリジャンの若者(ジャン=ピエール・レオー)が、2020年代の東京のZ世代の女性(河合優実)の姿に引き継がれています。誰もが躁鬱(そううつ)に押しやられそうな歪(いびつ)な時代も映っていますが、「社会がダメになると芸術は輝く」と、思わず呟きたくなる傑作です。フランス公開をぜひ楽しみに。
今年は幕開けから低調な作品に天気の悪さも加わり、「良い映画がないね」とジャーナリストの不満が渦巻いてましたが、晴天が続いた後半からは、秀作も一気に増加。振り返れば、まあそんなに悪い年ではなかったという印象です。受賞結果も概ね多くの人が支持した作品が名を連ね、納得感もあります。人気俳優カミーユ・コタンが司会を務めた映画祭の授賞式は、フランス2で放送され、平均で250万人の視聴者を獲得し及第点。ネットのメディアパートナーであるBrutは6億回以上の再生回数を記録しました。カンヌ映画祭の受賞結果は以下の通り。(瑞)
受賞結果
●最高賞パルムドール
『Anora』ショーン・ベイカー監督
●グランプリ
『All We Imagine as Light』パヤル・カパディア監督
●審査員賞
『Emilia Perez』ジャック・オディアール監督
●監督賞
『Grand Tour』ミゲル・ゴメス監督
●脚本賞
『The Substance』コラリー・ファルジャ監督
●特別賞
『The Seed of the Sacred Fig』モハマド・ラスロフ監督
●最優秀女優賞
カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、ゾーイ・サルダナ、アドリアナ・パズ『Emilia Pérez』(ジャック・オディアール監督)
●最優秀男優賞
ジェシー・プレモンス『憐れみの3章』(ヨルゴス・ランティモス監督)