きょう10月6日、「フレンチ・カンカン」の踊りで有名な「ムーラン・ルージュ」がオープン130周年を迎える。実業家ジョゼフ・オレー(1839-1922)が「もっとも偉大で美しいキャバレー、女と踊りとカンカンの殿堂」を夢見てシャルル・ジドレーと共に設立したミュージック・ホールは、今や世界一有名な劇場となった。
パリの観光名所として君臨しつづけるレビュー劇場は、900席を毎晩ほぼ満席にし、一年で24万本のシャンパーニュを消費する。450人の社員を雇い、世界からオーディションで集まった粒ぞろいのダンサーやパフォーマーたちの国籍は、現在では14カ国におよぶ。優れた容姿を鍛え、クラシックとジャズダンスを身につけたダンサーは、稽古やリハーサルに加え、週に6日間、毎日2回のスペクタクルをこなす。
ムーラン・ルージュがオープンしたのは、普仏戦争、パリ・コミューンなどの混乱を経て、第一次世界大戦までの間にパリが華やかに繁栄したベル・エポックと言われる時代。この1889年は、フランス革命100周年を記念する第4回パリ万国博覧会が開かれ、エッフェル塔が一大アトラクションになっていた。2年後には、
トゥールーズ・ロートレックがジャン・アヴリル、ラ・グリューなどの踊り子たちを描き、1907年は今日では作家として有名なコレットが、愛人のモルニー公爵夫人と『エジプトの夢』の公演で口にキスをしてスキャンダルとなり劇場閉鎖寸前に追い込まれた。20年代には「ミュージック・ホールの女王」と賞賛されたミスタンゲットが登場、モーリス・シュヴァリエがその相手役を演じ、ジャン・ギャバンはエキストラとして初めての舞台を踏んだ。
44年にはエディット・ピアフと、当初はその前座で登場するイヴ・モンタンが現れ、その後も、ライザ・ミネリ、フランク・シナトラ、シャルル・アズナヴール、エラ・フィッツジェラルド、バーバラ・ヘンドリックスなどフランス国内外のスターたちがステージに登り、この劇場の歴史を刻んできた。
今晩ムーラン・ルージュは、劇場前で光と音のスペクタクル、外壁に、ムーラン・ルージュの歴史を語るビデオを映写し、そして、60人のダンサーたちがフレンチ・カンカンを披露して130周年を祝うという。
Moulin Rouge
82, boulevard de Clichy
75018 Paris