16世紀フランスの思想家モンテーニュによると、学問を修める理由は「自分を豊かにして内面を飾り、物識りの人間ではなく、立派な人間になるため」。ルネサンス文化が栄えはじめたとはいえ、中世以来の伝統がまだまだ残る時代のこと。相変わらず知識の量がもてはやされるなか、モンテーニュは学問本来の目的を忘れることがない。「勉強するのも、そこに私自身の認識を扱う学問、よく死によく生きることを教える学問を求めるからにほかならない」。
ただ、そんな大切な学問のためとはいえ、不毛な努力をするには至らないと考えていたよう。若くして書斎にこもる隠遁生活を選んでいるだけに、さぞかしストイックに勉学に励んだのだろうという読者の予想を裏切るように「私が書物に求めるものは、そこから正しい娯楽によって快楽を得たいということだけである」と明言。快楽を追い求め、義務や勤勉を嫌ったモンテーニュのこと、難しい本を相手に何時間も粘ったりするのは性に合わなかった。ある本に飽きればいったんその本は置き、また新しい本を次々と手にとっていったという。「知恵のもっとも明白なしるしは、常に変わらぬ喜悦」と書いたこの思想家は、人生のあらゆる場面で自らが理想とする生活態度を保とうと努めていた。
食卓でしかめ面をするなんてもってのほか。「親しい食卓の集りには、私は賢い人よりも面白い人を選ぶ」として、何を食べるかよりも誰と食べるかを重視した。そして、書物と同様に、食卓での談話も自分たちに学びをもたらす要素だと考えていた。ただし、食べ物についてうんちくを語られるのは大の苦手。「話し合うことは食卓のもっとも甘美な薬味の一つである。ただし、その場にふさわしい、愉快な、短いものでなければならない」と、知識をひけらかす会食者に釘をさしている。(さ)