パリの地下鉄の駅が300ほどあるなか、女性の名前がついているのは3駅。でも、ピエール&マリー・キュリー駅、バルベス=ロシュシュアール駅は男女の連名だから、女性ひとりの名前は3号線のルイーズ・ミシェル駅だけだ。
ルイーズ・ミシェル(1830-1905)は、ヴィクトル・ユゴーも讃えたパリ・コミューヌ闘士。労働運動、フェミニズム、無政府主義運動におけるシンボルで、 コミューヌ150周年の今年は特に彼女に関する本が多く出版された。1871年に発足したパリ・コミューヌ政権は無料、無宗教、女子を含む義務教育を実現したが、 教員のミシェルは前からそのような共和国理念に基づいた学校を開設していた。
パリの民衆の勢いにヴェルサイユに逃れていたアドルフ・ティエール政府軍によるパリ襲撃(p.3)は、コミューヌ側に1万〜4万(諸説あり)の死者、4万5千人の逮捕者を出し、5千人が流刑に処された。 ミシェルも捕らえられニューカレドニアへ送られる。 ところが彼女は現地の人たちと親交を結び、その言語を学び、習慣、武勲詩などを一冊の本にまとめ、新聞をつくり、彼らが仏政府に対して蜂起するとそれを擁護。1880年恩赦によりフランスに帰国するまで7年間滞在した。
帰国後も女性や労働者の運動について記事を書いたり、講演会を続けるなか、滞在先マルセイユで1905年に没した。パリ・リヨン駅に着く棺を迎えた群衆は10万人とも言われ、ルヴァロワ墓地まで棺とともに歩いたという。(集)