パリ裁判所は9月7日、1994年4~7月のルワンダ虐殺(80万~100万人死亡)に関し、虐殺を黙認したとして「ジェノサイドおよび反人道罪共犯」の罪で捜査の対象となっていた仏軍士官5人を不起訴とした。
この件は虐殺の生存者・遺族のNGO「Ibuka France」、人種差別・反ユダヤ主義に反対する国際連盟(LICRA)、国際人権連盟(ILHR)などが告訴したもの。国連決議により虐殺阻止のための「チュルコワーズ(ターコイズ)作戦」として派遣された仏軍の士官が94年6月末のルワンダ西部ビセセロの丘で起きたツチ族虐殺を知りながら、阻止しようとせず見殺しにしたという容疑。2005年に捜査が始まったが、仏軍の士官5人は被疑者にもならず、今回の不起訴となった。
事件は6月27日、西部キブエ付近に駐留していた仏軍の中佐と大尉が丘を通りかかり、命からがら逃げてきた何百人というツチ族の訴えを聞いた後、その場では対処できないと判断し、キブエの宿営地で大佐に報告した(同大佐は聞いていないと否定)。30日に丘に戻ってきたときは約2000の死体の山があったという。裁判所は、ビセセロの丘の虐殺(死者は計6万人以上)に関して虐殺者への支援を示す共犯事実はなかったとパリ検察局の結論を支持した。この捜査にはムランビ難民キャンプにおいて仏軍兵士がツチ族の殺害・強姦に加担したという訴えも含まれていたが、これも事実関係を確認できなかったとして不起訴と判断された。
この不起訴決定に対し、原告団に加わるNGO「シュルヴィSurvie」のメンバーで物理学者のフランソワ・グラネール氏は、捜査官は国や軍に対して何も情報を求めていない、「司法の否認」と非難した。原告団は不起訴決定に異議を提出する意向だ。
フランスは、当時のミッテラン政権がフツ族政権と親密だったため虐殺を黙殺し、フツ族虐殺者の逃亡を助けたと国際社会から批判されてきた。サルコジ大統領が2010年に初めて国の「過失」を認めてツチ族系ルワンダ愛国戦線(FPR)出身のカガメ政権との国交を回復。さらにマクロン大統領はルワンダ虐殺の歴史認識の見直しを進め、歴史家委員会に報告書の作成を依頼した。21年3月に提出された報告書は、「仏国家の“共犯”の証拠はない」が、当時のルワンダ情勢を把握できず虐殺の兆候を見逃し、ツチ族の命を救わなかった、ビセセロの事件は「失敗と惨劇」と分析し、「(仏国家の)否定し難い重大な責任がある」と結論づけた。
虐殺の責任を問う裁判は95年以降、ルワンダのほか国際法廷や他国でも実施されているが、フランスでは捜査や裁判の進展が遅いといわれ、95年告訴のルワンダ人牧師に対する捜査では欧州人権裁判所から捜査の遅さに警告を受けたこともある。フランスにはルワンダ人が多く亡命してきており、2015年以降、数人のルワンダ人が有罪になっているが、現在まだ29件が捜査中だ。
マクロン大統領は歴史家委員会の報告書を「大きな前進」と評し文書開示を進める意向を示したが、今回のパリ裁判所の決定を見る限りでは、進展しているとは言えないようだ。国民の認識は変わってきたとはいえ、大統領府、外務省、軍隊という国家の中核の責任を問う行為は30年弱という歳月では十分ではないのかもしれない。(し)