「ルノワールは、この家に来る前は、カーニュの中心街に住んでいました。今の市役所の建物に隣接する建物です。そのとき、この土地の購入予定者が花を栽培するため、オリーブの木を伐採するつもりだと、敷地内に住んでいた小作農のデュプレから聞き、オリーブを救うために1907年に購入したのです」と、市観光協会のガイド、ジャン=マルクさんは説明する。敷地には当時、デュプレ一家が住む農家があるだけだった。ルノワールは、この農家に住むつもりだったが、広い家がほしいという妻アリーヌの希望で、1908年にアトリエ2つを含む住居兼アトリエの建物を建てた。農家は今は美術館の事務所になっており、1階で、映画監督になった息子のジャンが父のことを語る映画が見られる。
子どもは3人いた。長男ピエールは俳優になり、次男ジャンは映画監督に、三男クロードは陶芸家でその後映画にも手を染めた。クロードはルノワールが60歳、妻アリーヌが42歳の時の子で、晩年のルノワールの作品によく出てくる。この家にも女の子と間違えそうなかわいい肖像画がある。1921年にデュプレ家の娘ポーレットと結婚し、父の死後、家を継いだ。そして父へのオマージュとしてカーニュ市に譲渡された家は、1960年に美術館となった。土地購入のきっかけを作ったデュプレ家が婚姻でルノワール家と親戚になり、ルノワールの業績を後世に伝える役の一端を担ったことに、不思議な縁を感じる。
ルノワールのアトリエは、母屋に2つ、家の外に1つあったが、外のものは戦争中に破壊された。
母屋はプロヴァンスのブルジョワ風の建物だ。住み込みの料理人2人の部屋、友人が泊まれる部屋もあって、大邸宅である。ここに絵画、彫刻、陶芸作品が展示されている。ルノワールと親交のあった画家がルノワールを描いたものもあり、ルノワール自身の絵は14点だ。大きいアトリエのイーゼルの前に車いすが置いてある。ルノワールは車いす生活だったので、大きな絵は描けなかったという。一番弟子ともいえるほど親しく、ルノワールが高く評価していた画家のアルベール・アンドレが描いたルノワールの肖像画もある。ルノワール自身の作品の中では、グリマルディ城があるカーニュの高台を庭から見て描いた風景、デュプレ一家が住んでいた農家を描いた風景、二人の裸婦の絵、三男ココの肖像が印象に残る。