『ブヴァールとペキュシェ』(1881年)を執筆中のフロベールは、1879年の大みそかに姪のキャロリーヌに疲労を訴えている。「今日のように、疲れにすっかりやられてしまう日々には、私には筆を持つ力さえもないのです!私には休みが必要なのです。でも、どうやって?……どこで?……そして、何を使って?」
それでも完成をあきらめずに執筆し続けた理由は、それが今までになかった新しい小説だということを確信していたから。書斎に閉じこもり、老いや疲れ、そして孤独と闘いながら机に向かうフロベールを支えたのは、友人から届く手紙や食べ物の差し入れだった。
作家のツルゲーネフからは、好物の海の幸が届けられた。フロベールは、1879年の年末にツルゲーネフに宛てた手紙にこう綴っている。「昨日の夜、箱を受け取りました。サーモンは素晴らしかったし、キャビアには思わず感嘆の声をあげました」。そして、年始に書いた手紙には「キャビアは、ほとんどパンなしで、ジャムのように食べています」とある。これは、キャビアをパンに塗ったりしないで、そのままスプーンですくって食べていたということだろうか。ノルマンディーのルーアン名物「りんごの砂糖」と呼ばれる飴に目がなかったフロベールのこと。『ボヴァリー夫人』(1857年)でも、地方名物のパンの歴史を詳しく説明しているくだりがあり、菓子やパンに対するこだわりは人並み以上だった。
そういえば、日本が誇る文豪の夏目漱石について、森鴎外の娘である森茉莉がこう書いていた。「漱石という偉い人はジャムをなめたらしいが、私は練乳(コンデンス・ミルク)をよくなめる」。古今東西、糖分を栄養とする脳を酷使する職業についている人たちの中には、甘党が多いようだ。(さ)