フロベールの代表作には、まるで約束事のように大勢で食卓を囲む風景が出てくる。『ボヴァリー夫人』(1857年)では婚礼を祝う田舎の祝宴が、『感情教育』(1869年)ではパリの大画商宅での趣向を凝らした夕食が読者に深い印象を残すけれど、その遺作となった傑作小説『ブヴァールとペキュシェ』(1881年)もしかり。
思いがけず大金を手にしたふたりの中年男性が、心の赴くままに道楽に打ち込む姿を描く本作。まず彼らが夢中になったのは園芸だった。食事もそこそこに汗を流しては、トマト、アスパラガス、ブドウなどを手当たり次第に栽培したうえ、『田園の庭』といった書物を読みふける。メロンの栽培を始めると、心ここにあらずといった風情で「夜もおちおち眠らなかった」。それも当然、このふたりは、まるで恋をしているかのように畑仕事を愛するようになっていたのだから。次第に造園にも目覚めた彼らは、庭園に泉を作り、小屋には色ガラスをはめた。そして、立派な花崗岩を運んできたかと思えば、木をクジャクのかたちに刈り込んだり、彫刻を並べたり…。そしてある日、ご自慢の庭園を自慢したい気持ちを抑えられず、近隣の人たちを招いて大宴会をする。生牡蠣から始まったこの宴会では、鳩の甘煮、舌平目、牛の背肉などが供された。締めのコーヒーは、優雅にブドウ園の丘の上で。
ところで、前菜の牡蠣にはいささか問題があった。「泥臭い匂がする。ブヴァールはがっかりして、しきりに詫びごとを言い、ペキュシェは(コックの)ベルジャンブをとっちめに台所へ立って行った」(鈴木健郎訳)。ノルマンディー地方出身のフロベールのこと。牡蠣にはこだわりがあったに違いない。その『紋切型辞典』の「男ばかりの食事」の項には、「牡蠣を注文して白葡萄酒、それから猥談」などと書き残している。(さ)