19世紀フランスの文豪フロベールは、外科医の父が務めるルーアンの私立病院で生まれ、院内の一画に設けられた家で育った。地下のカーヴには、ブルゴーニュやボルドー、シャンパーニュなどの銘酒が実に400本も納められており、来客の際などにふるまわれたという。フロベールの父も、やはり医者だった兄もお酒には目がなく、240リットルものワインの入った樽やシードルの入った樽なども並んでいたそう。
そんなブルジョワ家庭出身のフロベールも、法律を学びにパリに出た時には、多少は貧乏暮らしを体験したのかもしれない。『感情教育』(1869年)には、地方出身の主人公フレデリックのかつかつの暮らしぶりが描かれている。バルザックの作品には売れないジャーナリストなどが通う庶民的なレストランが出てくるけれど、フレデリックが無理をせずに行けるのはさらにランクが下の貧乏学生御用達の安食堂だ。「マホガニーの古い勘定台、しみのついたナプキン、手垢で汚れた銀器」などが物悲しい風情をかもしだすそんなレストランを、フレデリックはわざと遅い時間に訪れる。他の学生たちを避け、食べ残しでいっぱいのテーブルが並ぶ食堂で黙々と夕食をとるフレデリック。どこかまわりを見下すような彼の態度からは、自分もまだ何者でもないくせに、見栄だけはしっかり張りたがるフレデリックの性格がよく表れている。
この青年、夢見がちなところは『ボヴァリー夫人』のエマと何ら変わるところはない。叶わない恋を追いかけるノルマンディー地方出身の若者であるところも同じだけれど、エマと比べると打算的でずるいところも。フロベールの作品に出てくる人物たちは人間味にあふれていて、時に「こういう人、いる!」と手を打ちたくなる。(さ)