フロベールの小説『ボヴァリー夫人』(1857年)のヒロインであるエマは、気の利いたことや華やかなことが大好きなロマンチックな女性。テーブルコーディネートやインテリア、自らの衣装に心を配ることで、退屈な田舎暮らしを忘れようとしている。
小説や雑誌を通してパリや社交界への憧れでいっぱいになったエマの不幸は、善良ながらもあまりに凡庸な夫と結婚したことだった。このふたりの性格の違いは、食べ方にも現れている。エマが食卓にまで本を持ってきてページをめくるのに対して、シャルルはただただしゃべり続ける。そして、「食べたあとで歯を舌でなめまわし、スープを飲むときは一口ごとに喉をゴロゴロ鳴らしたりした。ふとってきたので、元来小さい目が頬骨の肉のふくらみのために額のほうにつりあがって見えた。」(生島遼一訳)一方で、ルーティンを嫌うエマはお決まりのように食卓に上るスープを毛嫌いし、ヘーゼルナッツの実をかじったりしている。反抗期のティーンエイジャーのようなすね方をするエマは、やせるためにと酢を飲み、食欲をなくしていく。そして、とうとう神経症の病気だという診断を受けるまでに。
フロベールが 「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったというのは有名な話。体形はどちらかというとシャルル寄りに見えるフロベールだけれど、その生涯をたどると、エマとの共通点が確かに多い。ノルマンディーで生まれ育ち、人妻との実らない恋に苦悩したフロベール。23歳のときに神経症の発作に襲われて以来、その病に生涯悩まされた。エマの純真な恋心、また、常軌を徐々に逸していく過程は、だからこそ切ないほどに真実味に満ちている。
レアリスム文学の傑作とされたこの小説。人間の普遍的な美しさや愚かしさにふれるうちに、もしかしたらあなたも「ボヴァリー夫人は私だ」と言いたくなるかもしれない。(さ)