『人々の最も秘められた記憶(仮題)』
モハメド・ムブガル・サール著
Philippe Rey/Jimsaan刊
2021年
今年度のゴンクール賞は、セネガル出身の弱冠31歳、モハメド・ムブガル・サール氏の『人々の最も秘められた記憶 (La plus secrète mémoire des hommes) 』に決まった。その一月ほど前には、ノーベル文学賞にザンジバル諸島(タンザニア)出身のアブドゥルラザク・グルナ氏が選ばれ話題となったことも考えると、こうした文学賞の傾向は、いわゆる「アフリカ文学」への注目が近年ますます高まっていることの表れと見ることもできるのかもしれない。あるいは、サール氏にせよグルナ氏にせよ、作品の主要なテーマの一つには植民地主義の歴史がある。彼らが評価されることの背景には、例えばドイツ、あるいはフランスのマクロン大統領の態度や政策にも見られるように、近年のヨーロッパ諸国で、過去の過ちと向き合おうという流れが生まれつつあることとも関係があるのかもしれない。
いずれにせよ、サハラ砂漠以南のアフリカ出身の作家がゴンクール賞を受賞したのは今回が初であり、サール氏は既にいくつも受賞歴を持ち、文学通には知られた存在とはいえ、大変な快挙であることは間違いない。
ところで、おそらく、いま言ったことはそれほど的外れではない、とは思う。けれども…もし、作者が受賞したのは、彼がセネガル人であるから、だとか、植民地の歴史によってヨーロッパ人の罪悪感に訴えたからだとか、ましてや彼が「黒人」だからなどと考えるなら、これほど失礼な話もないだろう、とも思う。実際、今回も人々がまず驚いたのは、作品そのものの出来よりも、フランスの権威ある賞の受賞者が(若い)セネガル人である、ということではなかっただろうか。けれどもこうした色眼鏡で見られることは、フランス語を駆使する外国人(そして「移民」と見なされるフランス人)の共通した悩みであり、サール氏は本作品の中でも痛烈に、時に自嘲気味に、フランスの文学界が「アフリカ文学」に向ける眼差しを批判しているのである。
そうしたわけで、一読者の意見として、これだけは言っておきたい。彼が選ばれたのは若いセネガル人という話題性のためでも、フランスの贖罪のためでもない。単純に、作品の素晴らしさによってなのだと。読めば分かるように、複数のテーマを組み合わせる巧みさ、ストーリーテリングの巧妙さ、主題選びのセンス、いずれも作者の稀な才能を示していると言わざるをえない。
物語の筋はこうだ。若いセネガル人作家が、ある出会いから長年探し求めていた本を手にする。『非人間的なものの迷宮』と題されたその本は、1938年にパリで出版されるや、剽窃の疑惑をかけられ市場から姿を消した入手不可能な本だった。同時にその作者、T.C.エリマーヌも行方知れずとなっていた。計り知れない魅力を秘めたその本に取り憑かれた主人公は、彼の正体を突き止める調査に乗り出す…。
文学を主題としながら、まるで探偵小説のような筋書きによって、徐々に読者はエリマーヌの実体に近づいていく。けれどそこは全く一筋縄ではない、複雑な歴史の要素 ― セネガル狙撃兵、ユダヤ人強制収容所、アルゼンチン軍事政権、セネガルの現代社会 ― がエリマーヌと主人公である若い作家の人生とに絡み合ってゆき、読む人を引き込んでいく。話の展開からオチに至るまで、ものすごく練られた作品だ。
そして忘れてはならないのは、これが実在の人物を基にしている、ということ。それがマリの作家ヤンボ・ウオロゲムで、1968年にスイユ社から出版された彼の『暴力の義務』(邦訳)(Le Devoir de violence)はルノドー賞を獲得するも、剽窃の疑いにより作者ともども公の舞台から姿を消してしまった。2003年に別な出版社によって再版され、今でこそこの本は再評価されているものの、それまで彼は、文学界からほとんど忘れられた存在だった…。彼に捧げられた本作品は、この知られざるマリの作家に再び注目を集めるためにも、一役買っているのである。(須)
モハメド・ムブガル・サール
1990年、セネガル・ダカール出身。これまでの作品でも、ジハーディズム、難民、セネガル社会におけるホモフォビアなど野心的なテーマに取り組み、アマドゥ・クルマ賞 (サハラ以南のアフリカをテーマにした作品に贈られるスイスの文学賞) をはじめ、数々の賞を受賞。