欧米から音の息吹を吸い込むアンダーグラウンドシーン。ソ連で刹那(せつな)の輝きを放ったロックスターの青春映画だ。80年代初頭のレニングラード。新しい音楽を前に、会場は熱を帯びる。ステージに立つマイクと、ライブに忍び込む恋人のナターシャ。だが監視の目が光り、観客は大人しく座っての鑑賞だ。
夏の日、仲間とピクニック。浜辺で無邪気に歌い出す。「leto(夏)。時間はあるが金はない。でもどうでもいいのさ」。トーキング・ヘッズ、デヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ……。映画は全編、時代を彩った楽曲が流れる。理不尽な弾圧や検閲をかわし、ピュアな音楽愛と自由への希求を胸に弾ける若者。ロシアの鬼才キリル・セレブレンニコフ監督は、鬱屈した社会を突き破る平行世界に似たミュージカルシーンも、遊び心たっぷりに挿入する。
マイクは韓国系ミュージシャンのヴィクトルと出会う。彼らは実在のロックスターだが、ともに穏やかな優男として描かれる。この師弟のような二人の狭間で、ナターシャの心は揺れる。だから切ないラブストーリーの味わいがある。
彼らの80年代から時は流れた。本当のマイクもヴィクトルも、ソ連崩壊直前に死んだ。そしてセレブレンニコフ監督は、本作撮影中に公金横領の罪で逮捕され、今は自宅軟禁中の身の上。国が反体制的な芸術家を標的に、冤罪をでっち上げたとも指摘される。解放を求める請願書には、ケイト・ブランシェット、ソフィ・カルら有名芸術家が名を連ねた。本作はカンヌ映画祭に出品されたが、監督はやむなく不参加。俳優たちは監督の顔写真付きバッジを付け、レッドカーペットを歩いた。たしかに時間だけは流れたが、ロシアの芸術家にとって社会の進歩などはなかったようだ。彼らの無邪気な歌声がレコードのように回転して離れない。(瑞)