第72回カンヌ映画祭だより③ “聖なる怪物”アラン・ドロンの名誉パルムドール受賞

ドロン主演&プロデュース作として名高いジョゼフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く/Monsieur Klein』の上映も行われました。Mr Klein © Studiocanal

連日雨が降り、寒い日々が続きます。朝、ネットで気温を見たら、パリよりもカンヌの方が低くて驚きました。さて、5月19日の日曜日、カンヌは“アラン・ドロンの日”でした。彼のキャリアの功績を讃える “名誉パルムドール” が授与されるからです。

11時からは、ドロンによるマスター・クラス(特別講義)が開催。筆者も列に並んで、なんとか潜り込むことに成功しました。会場にドロン様が入場すると、すぐに温かい拍手が広がります。しかし、挨拶に立ったティエリー・フレモー総代表は、「カメラを置いて本当の拍手をください!」と、観客に拍手のやり直しをさせます。「“聖なる怪物”という言葉は、彼のために生まれたような表現」と、賛辞で盛り上げることも忘れません。ドロンも上機嫌のところで、トークが始まりました。

ドロンによるマスタークラス(特別講義)。

「この名誉賞は監督たちにあげたかった。私は第一バイオリンやピアノであり、特別な指揮者を持っていた。彼らに賞を与えるべきだったがみんな死んでしまったので、彼らの才能や思い出のために、私が賞をもらいに来ました」と心境を語ります。 “彼ら”とは、もちろん『太陽がいっぱい』のルネ・クレマン、『山猫』のルキノ・ヴィスコンティ、『サムライ』のジャン=ピエール・メルヴィルなど、ドロンをスターにした巨匠たちのこと。

そして “彼ら”との思い出話も披露しました。例えば、『太陽がいっぱい』の裏話。「私はクレマンとプロデューサーのアキム兄弟に、『自分の役は(富豪の息子)グリンリーフではない』と言って苛立たせました。しかし、台所で会話を聞いていたクレモンの妻ベラがお皿を拭きながら、(イタリア訛りで)『ルネ、lé pétit a raison(チビが正しいわ)』と言ったので、(貧しい青年リプレーは)私の役になったのです」。

『太陽がいっぱい』でリプレー役を演じるドロン。マリー・ラフォレと、グリーンリーフ役モーリス・ロネ(左)。Film Plein soleil

また、恩師で盟友のメルヴィルが、自身の映画スタジオを火事で失った時の様子を目に涙を浮かべ語りました。さらにメルヴィルの意外な最期も語ります。なんでもメルヴィルは、ビストロで食事中、友人のジャーナリスト、フィリップ・ラブロの眼前で、大笑いしたまま脳卒中で亡くなったそうです。その笑いの物真似までしたので、観客は少々反応に困りました。「でも彼は死ぬと分からずに亡くなったのだから、私は満足しています

そして午後、ドロンはレッドカーペットを歩いたのち、名誉パルムドールの授賞式に参加。壇上では28歳の娘アヌーシュカさんに付き添われ、目を赤くしながら名誉パルムドールの盾を受け取りました。ちなみにこの授賞式に出席した人には、大スター・ドロンにちなんだ「STAR」バッジが配られたとか。羨ましかったので、このバッジを手に入れた記者さんに、思わず写真を撮らせてもらいました。

娘のアヌーシュかさんから名誉賞の盾を受け取り、抱擁しあうふたり。後ろは、フレモー映画祭総代表。

授賞式に出席した人には、大スター・ドロンにちなんだ「STAR」バッジが配られた。

授賞式後は同会場で、ドロン主演 & プロデュース作として名高いジョゼフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く/ Monsieur Klein』の上映も行われました。実はこの作品、1976年にカンヌに出品された当時は不評で、それがドロンを怒らせたといういわく作品。今回本作が上映作品に選ばれたのは、名誉挽回の意味があったのかもしれません。


さて、名誉パルムドール授与については、映画祭開幕前からアメリカの女性活動家が反対運動を起こして話題になりました。活動家はドロンを「差別主義者・同性愛者嫌い・女性蔑視者」と訴え、19日の時点では2万5千人の署名を集めたのです。

しかし、フレモー総代表はこの反対運動を「われわれはノーベル平和賞を贈るわけではない。俳優としてのキャリアに対する賞だ」と一蹴しています。なかなか微妙な問題を含んではいますが、例えばドロンは『パリの灯は遠く』では、赤狩りにあったロージーを製作者として助けてもいます。一人の人間の人格に白黒をつけ、断罪するのはなかなか難しいことでしょう。みなさんはどう思われたでしょうか。(瑞)

 

 

 


 

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