マダム・キミのシルバーラウンジ:12月1日号

ヒロ子さん(76)は東京で生まれ、白百合学園に学ぶ。中学生の時、雪降る中に立っているマリアさまの像に傘をさしてやったのがきっかけで教会の神父と出会う。父は造船会社社長、母は終戦後新宿にレストラン・喫茶店を開店。64年来仏後レヴロン、ロレアル社で働きガイド学校に通学。AFのスチュワードだったR氏とは教室で隣り合わせ、一目惚れ。

  戦前身寄りがなかったものの、そろばんが得意だった母は、日銀社長の秘書になったのですが、戦後Aビール社長だった人の父親にスカウトされ、上野松坂屋のビヤホールに勤務。勝ち気で商才のあった母は一人でレストラン兼喫茶店を立ち上げ、50年代に仏シェフを雇い、ビーフシチューが大評判でした。早慶戦で勝ったチームの全選手にご馳走したそうです。

主人とは63年にガイド学校で出会い、仏人との結婚に激怒した父に、母は「私が籍を外します」と言い返し、70年、めでたく私は打ち掛けを着て彼と結婚しました。主人は「彼女を絶対に幸せにします」と母に誓い、こうして今も一緒です。母は、あの時代に乗馬やギター、ジャンプスキーまでやってしまう超モダンガールでした。

私はというと、主人は大手旅行代理店の日本人課に勤務。当時パリには日本人ガイドがいなかったので、故田中角栄氏をルーヴルに案内し、「これが有名なモナリザです」と言ったら、「あっ、そう」の一言を発し、追いつけないほどの早さで頭を前のめりにサッサッと前進。若かりし皇后様の付き人みたいなこともしました。60年代以降はサンジェルマンでモンパルナス派の藤田氏やグレコ、ボーヴォワールとも交友…なんと楽しかったことか! 私が楽天的で勝ち気なのは、母に似ているからでしょうね。

主人は日本人と同じくらい日本語がうまいです。それも下町の日本語です。夫婦ゲンカをする時、フランス語か日本語かどちらだと思います? 私はフランス語で、彼は日本語です。言葉対言葉のフランス語と、言葉にしないあやふやな日本語。これで漫才したら面白いでしょうね。娘二人も両親の日仏語の掛け合いを面白がっています。 レヴロンにいた時、NY赴任の誘いもありましたが、英語よりフランス語のほうが深みがあり、ずっと面白いのでパリに住み続けています。