ノルマンディーの作家と食 〈29〉


 1880年に亡くなったフロベールの遺作となった小説『ブヴァールとペキュシェ』(1881年)は、一種の壮大な百科事典のようにも読める。準備にあたって、フロベールは何千時間も園芸や科学、歴史などの本を読みふけった。また、老体にむち打ち、時には愛弟子のモーパッサンをともなってリサーチのために旅行もした。

 筋書きはいかにもシンプル。偶然に知り合って意気投合したふたりの中年男性が、自然科学や文学、哲学、恋愛、宗教などについて熱心に勉強や経験を重ねた後に、結局はもとの平凡な暮らしに落ち着いていくというもの。『ボヴァリー夫人』(1857年)のような派手さはないものの、真剣に学問に打ち込んでは失望するこの二人組はどこかとぼけていて、頭のねじをゆるめつつも文化に触れたいバカンス中などに読むのにいいかもしれない。

 ブルジョワ家庭に生まれながら、その世界を斜めに見続けた著者ならではの皮肉な視点は、死後刊行された『紋切型辞典』(1913年)と共通している。といって、物語の主人公、ブヴァールとペキュシェは憎むべきブルジョワとして描かれているわけではなく、気がよくて罪のない道楽者といった風情だ。独身で、子どももなく、社会に対する考えも似ているこのふたりは、その日のうちに夕飯を一緒に食べた上、カフェに移動してコーヒーを飲む。

細かなところでは嗜好の異なるふたり。コーヒーにしても、信じやすいブヴァールはブラックが好みで、何事にも用心深いペキュシェは角砂糖をひとつ浸して飲むのが常だ。『紋切型辞典』の「コーヒー」の項目には、「砂糖なしで飲むこと―とてもシックで、オリエントに住んだことがあるような印象を与える」とある。フロベールにかかれば、どんな日常的な動作もその人となりを表す材料になってしまう。(さ)