Hôtel de la Marine
「オテル・ド・ラ・マリーヌ」が、6月12日にオープンした。建造された18世紀当初は王室家具保管所(Garde-Meuble de la Couronne) が入っていた建物で、1789年になると海軍参謀本部が置かれ、2015年まで海洋省が使っていた。18世紀の装飾芸術のエッセンスが凝縮された館が4年間の修復でよみがえり、内部を一般の人が見学できるようになった。
建物は、王室付きの建築家アンジュ=ジャック・ガブリエルの設計。ルイ15世時代、王室はヴェルサイユにあったが、パリでもその存在をアピールするため、国王の騎馬像を置く「ルイ15世広場」(現コンコルド広場)を作り、その北側に左右対称の新古典主義の建物を配して、そのなかに家具保管所を置いたのだった。
王室家具保管所の所長マルク=アントワーヌ・ティエリー・ド・ヴィル・ダヴレーは、この館で公務を行い暮らしていた。彼のオフィスとアパルトマンが再現され、当時の高級官吏の暮らしぶりが見られる場となっている。家具からカーテンまで当時のものを揃え、壁も18世紀に塗られたペンキの層を出すために、その上のペンキを剥がしたという徹底ぶり。保管所は1776年から月に一回、収蔵品を一般公開していたというから、実質的にはパリで最古のミュージアムだ。
後にフランス国王に即位したルイ16世は、この館の広間で1778年、アメリカ合衆国を独立国家として認める同盟条約と友好通商条約に調印。しかし皮肉にも、彼と王妃はコンコルド広場で処刑され、王妃の死亡証明書はここで記された。
さかのぼって革命の前日。民衆はここから武器を奪って、翌日バスティーユ牢獄襲撃に臨んだというのも史実のようだ(版画上)。とはいえ学芸員によると、「武器」とはいえ王室が蒐集する、芸術性は高いが、実用性に欠けるものも多く、なかには日本の鎧や刀なども含まれていたという。
家具管理所では宝飾品も管理されていた。1792年の宝石泥棒が建物に侵入するために開けたとされる穴の痕が、「外交サロン」に残されているというのにも好奇心をそそられる(写真上。木の扉の右端の四角が、穴の跡とされる)。革命期で混乱していたとはいえ、40人の徒党が侵入したというから驚きだ。この事件に関する研究は今日も続いており、ダントンが影の首謀者だという説が有力視されているそうだ。外交サロンには隠し部屋があり、会談中は隠密が潜んだという。
1848年、海軍省植民地担当国務次官だったヴィクトール・シュルシェールが奴隷制廃止の政令に署名したのも、この館だった。歴史のドラマに満ちたこの建物は現在、フランス文化財センターによって管理されている。(六)
7月14日までは不規則
火曜はチケット売場16h15で終了。
木曜は12hオープン。
*6/22はチケット売場は13h45で終了。
7/2から、金曜は22時まで開館 (チケット売場は21h15で終了)。
ショップ : 毎日営業。金のみ11h-22h15。他の日は11h-19h15。
▶見学はオーディオガイドで、自由見学。
見学コース① Parcours « Salon et loggia » 45分/13€
絢爛なコンコルド広場に面したサロンと広場を臨むloggia大テラスコース。
見学コース② Parcours « Grand tour » 90分/17€
(①で見学する部分+王室家具保管所所長のアパルトマン)オーディオガイド3種。「ファミリー向け」「啓蒙主義者たちの世紀」「タイムトラベル」。
Hôtel de la Marine - Centre des monuments nationaux
Adresse : 2 pl. de la Concorde, 75008 Parisアクセス : M°Concorde
URL : https://www.hotel-de-la-marine.paris
無休。月、水、土日 : 10h30 - 19h。