マダム・キミのシルバーラウンジ:8月1日号

E子さん(65)は、佐賀県生まれ。4人兄弟の長女。大学は国文学科卒。両親は戦後の自由恋愛、相思相愛の元教員同士。86年、E子さんは34歳で来仏し、美術学校グランド・ショミエールで学び、具象から抽象へと進む。昨年亡くなった父は、美術の道を選んだE子さんの一番の理解者だった。母親は句作を続け、今、2冊目の句集を準備中。

パリ在住30年、多くの日本人滞在者、特に芸術家の奥さんは生活を支えるために日本レストランや免税店で働く人が多いのですが、そうした経済的な面はどうでしたか?
私は20代半ばから絵を描き、日本各地で個展を開きましたが、作品だけの収入ではやはり無理です。若い時から両親と暮らし、勤めたことはありません。父に甘えたわけでもないのですが、今思うと、4人の子供のなかで私だけ特別扱いしていたようで、時々送金してくれていました。それでいて、父も母も私が30を過ぎても、結婚するようにとは言いませんでした。それと20代から短歌をつくり、いくつかの歌誌に寄稿しています(06年歌集『北の宿』を発行)。

「自己解体を余儀なくされた」異国での一人暮らしの中で、造形と歌ことばは両立しました?

制限された中に造形していくことの面白さ、制限を制限としない快感のようなものは短歌の定型と相通じるものがあると思います。

家賃の上がるパリで、アトリエと住居は?

2、3度転居しましたが、02年に低家賃住宅HLMに申請し、5年後にやっと12区に画家用アパートが当たりました。官僚ジャングルの中を市役所の誰々に辿りつくまでは何人もの紹介状が必要でした。この多難さこそ一番パリジャン的な思い出です。結婚とかカップル生活なしの一人暮らしの孤独を気にする人もいますが、誰かと共に生活するというのではなく、30年以上前から続くあるアーティストとの友情、尊敬、敬愛、人生の中で心を分かち合える相手が一人いれば、孤独を淋しいとは思いません。絵画にしろ、歌ことばを体内で紡ぐにしろ、孤独しか、それを可能にしてくれませんから。パリでたがいに創造しながら暮らしていると男女ではなく対等の関係を保てます。誰にも気がねせず、自由でいられるのはパリだからこそだと思います。