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マダム・キミのシルバーラウンジ:12月1日号

パリで木村宇佐太郎さん(82)を知らない日本人在住者はいないだろう。昭和9年横浜生まれの木村さんは、青少年期から父親のおせんべい製造業を手伝う。彼が琴や三味線、桜人形、折り紙の技能に秀でているのは、手仕事が好きで叔母さんに仕込まれ、歌舞伎などにも連れていってもらったからだという。

74年、私が40歳のとき偶然に、青少年団体に協力する知人から「欧州50日間旅行」の青少年40人の付添人にならないかと勧められ、航空券は当時17万円でしたが引き受けました。滞在費を1日3千円と見積もり、3千円 × 50日=15万円をもって、ユースホステルを利用しながら、ドイツ、スイス、オーストリアまで足をのばしました。 帰国後、頭で考える外国と、実際に歩いた外国の街との間にあまりにもズレがあったので、77年にパリの手芸学校に入るためにビザの申請をしました。43歳でした。
アリアンスにフランス語を学びに行きました。81年ミッテラン大統領就任を機に10年の滞在許可証を取得。その頃にオヴニーの前編集長真さんと知り合い、81年暮れにオペラ街に開館したエスパス・ジャポンの創立者ベロー氏が、折り紙教室を開かないかと勧めてくれました。
当時シラク・パリ市長の時代で日本熱が徐々に高まっていました。文化センターや図書館、例えばサンジェルマン・アンレイの小学校では6年間、一つのクラスに週1回折り紙を教えに通いました。生徒らは「オジサン、シノワ? ベトナミエン?」と、私がジャポネと言っても怪訝そうな顔付きで、私の拙いフランス語の説明を聞くよりも指の動きをじっと見つめていました。
90年代には毎週どこかで「日本週間」が開催され、生け花や書道、折り紙に私も招かれ、文化センターではお琴や三味線の演奏会など。
私に援助を惜しまなかった仏女性アンヌさんのおかげで、面倒な手続きをくぐり抜けて芸術家社会保険にも登録、92年に低家賃住宅HLMにも申請でき、今の15区バラール地区の浴室付2室のアパートを借りられました。家賃は驚かれるでしょうが現在月100€。老齢年金として約800€受給しています。病気もせず、ほとんど毎日バラールからパリ市内を縦・横断し1時間に7千歩は歩きます。本当に恵まれています。