▼インタビュー
ユアンメンは好奇心旺盛で元気そのもの。
パンダ担当責任者 デルフィーヌ・プヴローさん
ユアンメンは初のフランス生まれのパンダ。誕生を心待ちにしていたので、出産時は言葉で表せぬ感動の時間を過ごしました。
双子で生まれましたが、もう一匹は残念ながら生まれてすぐに亡くなりました。中国から呼んでいる専門家によると、生まれつき体が弱い子で、もともと生きられなかったとのこと。しかし幸い、ユアンメンは元気そのものです。
パンダの性格はそれぞれ違います。ユアンメンは遊ぶのが大好きで好奇心旺盛。パパのユアンザイはお客さんが好きな自信家。スター気質のパンダです。一方、ママのフアンフアンは恥ずかしがり屋。知らない音に怯える不安げな性格です。でもユアンメンを可愛がる最高のママ。
彼らは素晴らしい家族を構成しています。ここは彼らの故郷、中国の成都市と気温がほぼ一緒。パンダの部屋の温度と湿度も故郷と同じに設定し、最高の環境を与えるよう努力しています。次の赤ちゃんですか? 2年後くらいにまた誕生することを願ってます。チャンスは大いにありますよ!日本人のパンダ好きのみなさん、ボーヴァルにもぜひ遊びに来てください。
パンダ誕生は国の重要案件。
「夢の実現」の意味を持つ「円夢/ユアンメン」を命名したのはブリジット大統領夫人。1月には中国訪問中のマクロン大統領も現地でパンダに言及。彼には経済分野における中国との関係強化という「夢の実現」がある。
▼動物園の歴史
ショービジネスの世界から動物のゴッドマザーに。
ボーヴァルの歴史はフランソワーズさんとともに。
ボーヴァル動物園は、ひとりの鳥好きな女性の情熱から誕生した。創設者のフランソワーズ・ドロールさんは、モンパルナスのミュージック・ホール、ボビノ劇場で、看板娘「マドモワゼル・ボビノ」として名を馳せた人。ジョルジュ・ブラッサンス、バルバラ、ジャック・ブレルらを舞台で紹介していたが、ある日、偶然手に入れたアフリカギンバシのカップルに魅せられたという。
徐々に鳥を買い足し、親しかったブラッサンスから贈られた電動ドリルで、巨大な鳥かごを手作りした。パリのアパルトマン内はすっかり鳥だらけに。結局、鳥が300匹になったところで、ショービジネス界を捨てた。
幼い二人の子供とたくさんの鳥たちとともに、ロワール地方に移住。80年には1500羽の極彩色の鳥を集め、「ボーヴァル鳥類パーク」として一般公開。当初は「田舎に来たパリジェンヌのお遊び」と見なされたという。
89年にはオランウータンなどを加え、「ボーヴァル動物公園」として再出発。91年にフランス初のホワイトタイガー、ゴルビーとライサが人気を博し、観客が急増した。その後も97年にゴリラとマナティー、99年にホワイトライオン、2000年にシロサイ、02年にコアラ、05年にオカピ、そして12年にパンダと、定期的に目玉動物の公開を実現し話題を呼んできた。
絶滅種の保護育成に尽力し、動物の習性を考え檻は排除、大自然の中、快適で広々としたスペースを与えている。だから約600種・計1万匹のボーヴァルの住人は幸せそう。年間、赤ちゃんが約600匹(魚を除く)生まれるのも納得。
だからこそフランス初の赤ちゃんパンダも天からやってきたのだろう。2016年には135万人が来場し、ボーヴァルはサントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏一番の観光地となった。現在は母譲りの動物好きに成長した娘デルフィーヌさんと息子ロドルフさんが園を指揮する。だが最近もパンダ命名式に大統領夫人を案内するなど、動物たちのゴッドマザー・フランソワーズさんは健在な姿を見せている。