ガラスの天井から降り注ぐ光のなかにアール・ヌーヴォーの華麗な階段が姿を現した。淡いグレーの手すりには金色のマロニエの葉があしらわれている。パリの老舗デパート「ラ・サマリテーヌ」が16年の眠りから目を覚まし、営業を再開した。
正直、閉店前のラ・サマリテーヌは、他と比べて「イケてない」感が漂うデパートだった。食料品や大工用品もある日常感覚の百貨店を人々は「ラ・サマール」と親しみをこめて呼び、700人以上いた従業員の行く末を案じながら2005年の閉店を惜しんだ。そんな、みんなの 〈文化財〉的な存在のサマールを、高級品産業で世界一のLVMH(モエ=ヘネシー・ルイ・ヴィトングループ)が改修・改築というのだから、住民にとってはさまざまな点で気になるところだ。
改築は「景観にそぐわない」と工事が中断させられたり、創業150周年の昨年、ついにオープンと思いきやコロナ禍に見舞われた。16年の荒波を超えての華々しい開店に、人々はそれぞれの思い出を噛みしめていることだろう。(六)
よみがえったラ・サマリテーヌ。
ポンヌフ橋の前、セーヌ川に面したデパート「ラ・サマリテーヌ」。安全性の問題で2005年に閉鎖となっていたのが、とうとうオープンした。修復と同時に、8万㎡あった売場は2万㎡に縮小され、その分、託児所、公営住宅、オフィスが造られた。セーヌ川に面した建物は高級ホテルとなってこの秋に始動する。6月23日にオープンした店には600ブランドの商品が並び、カフェ、キャビア・バー、有名シェフが交代でメニューを監修するレストランまで、飲食店が12軒。1700人が働く。
かつては誰でも登れる屋上テラスから、眼下のセーヌ川と左岸の抜群の眺望が楽しめた (今は高級ホテル管理下に)。30年前にはストッキングの修繕コーナーなどもあり、物を大切にする文化を感じさせた。閉店した時にいた700人以上の従業員たちには復職が提案され、10数人が復帰したという。
パリ住民にとって大切な、ショッピングの殿堂ラ・サマリテーヌへ行ってみた。
いつの時代も先をゆく、デパートの建築。
新装サマリテーヌでは、3つの時代の建築を楽しめる。1910年に落成したフランツ・ジュルダンのアール・ヌーヴォー建築(モネ通りの中央、写真上)と、アンリ・ソヴァージュによる1928年のアール・デコの建物(セーヌ川に面した建物でホテルとして秋に開業予定)。そして今回のオープンに際して、唯一改修ではなく改築された、リヴォリ通りに面したガラス張りの建物だ(下の写真)。
斬新なリヴォリ通りの改築部分の設計は、ルーヴル・ランス館などでフランスでも広く知られ、2010年にはプリツカー賞にも輝いた妹島和世・西沢立衛両氏の建築事務所SANAAに託された。「リヴォリ通りに刻まれた長い歴史の延長線上にある建物」を意識したという、波打つガラスのファサードに、石造りの古きよきパリの景色が映り込む。
高さ25m、幅75mのガラスの大きな壁は、343枚のパーツ(1枚2.7m×3.5m)がステンレスの骨組みで支えられている。波打つ外壁のガラスには、細かい点を一面に施し、その内側のガラスには細い線、そして最も内側に耐熱ガラス、という3層構造にすることで、完全に透明ではなく内と外を程よくさえぎる工夫をこらしている。採光しつつ建物の中の人を太陽光から守り、防寒防暑、防火に配慮。また、景色の写り込みの具合も大切なポイントで、数々の実験を重ねた成果という。建築家の欲する波の形をつけるために、ガラスは平らな状態で型の上に置かれ、550℃でゆっくり成形され、ゆっくり冷ます。そんな工程ゆえ、1日に2枚までしか作れないというオーダーメイドのもので、スペインのバルセロナで加工されたそうだ。
しかし、21世紀を象徴する高技術とデザイン、ファサードの反射で新旧の建物を融合させるという粋なコンセプトの設計は、「景観保護」を掲げる人たちの趣味にはそぐわなかった。周囲の建物と調和がとれていないことを理由に裁判所は2015年、建設許可を白紙にする。工事も中断された。
今や歴史的建造物として、 すっかり「良き景観」の仲間入りをしたフランツ・ジュルダンの建物だが、建設当時はやはり非難を浴びたそうだ。石造りの重厚な建物が並ぶこのエリアの街並みのなかで、鉄骨を露わにし壁がガラスで覆われ、黄色い装飾を施された建物は当時の人たちに違和感を抱かせた。時の流れのなかで、ガラスの床はリノリウムに替えられ、ガラスの天井が塞がれ、七宝の装飾も白く塗り潰されたこともあったという。しかしそれらは建設当時の設計図にもとづいて修復され、軽やか、かつ、華やかなアール・ヌーヴォーの建築がよみがえった。目の慣れというのも面白いものだ。(編)
“Samaritaine”名の由来
「サマリテーヌ」の名はポンヌフ橋にあったセーヌ川の水をくみ上げるポンプに由来する。アンリ4世の勅令により、1608年に造られたポンプの建物には、聖書からテーマをとったキリストとサマリア人女性(サマリテーヌ)の像があった。創業者エルネスト・コニャックは、「ラ・サマリテーヌ」の店を構える前、ポンプがあった場所で露店商売をしたことがあったため、これを店名に選んだと言われている。
ラ・サマリテーヌ創業者、コニャック&ジェ夫妻
“勤勉は成功の母”
ラ・サマリテーヌを創始したエルネスト・コニャックとマリ=ルイーズ・ジェ夫妻。ふたりともゼロから出発し、ラ・サマリテーヌをパリきっての百貨店に育て上げた。「成功は仕事によってのみ得られる」をモットーとするふたりは、52年間ともに働き、バカンスもほとんどとらず、晩年も店頭に立ったといわれる。事業と慈善活動、美術品の収集(この後の記事)に人生を捧げた人たちだった。
母親が病死、父親は破産の末に自殺。エルネストは11歳で孤児となった。コニャック家は豊かで進学も可能だったが、エルネストはラ・ロシェルの商店などで働くことを選び、1855年万博を機にパリに上京。その後、各地で経験を積み、パリに戻って女性ランジェリー店「ヌーヴェル・エロイーズ」の販売員となる。後に妻となるマリ=ルイーズと出会ったのはこの時だ。サヴォワの山中で山羊飼いをしていた彼女は15歳でパリに来て、この店の販売員となっていた。
1867年、エルネストはパリのチュルビゴ通りに初めて自分の店を持つ。ところがその「Au petit bénéfice」は2年で倒産し、全国を行商する旅に出る。パリに戻るとポン・ヌフの上で露天商売。その頃行きつけだったカフェの主人に店の一部を貸りて「ラ・サマリテーヌ」が誕生する。1870年3月21日、わずか48㎡の店舗だった。
その後マリ=ルイーズと再会、結婚。ふたりは少しずつ土地を買っては店舗を拡張し、売り上げを倍々で伸ばしてゆく。最盛期は彼らの店がルーヴル通りからシャトレ広場までを占め、8千人が働いたというから、 まさに 「ラ・サマリテーヌ村」だった。
プランタン創始者のジュール・ジャリュゾと同じく、マリ=ルイーズはボン・マルシェで働いた経験があった。産業革命前後のフランスは経済が急成長。大量生産、鉄道による物流、都市への人口集中などデパート営業の条件がそろったパリに1852年ボン・マルシェが登場し、それまでの商店経営を覆した。定価を表示して値段交渉を不要にし、商品に触れたり試着できるようにした。そして買わなくてもふらり店に入って見ることができる。おしゃれをする楽しみは一部の富裕層から多くの人々に広がった。通信販売、返品、配達制度、「客は王様(client-roi)」の接客。従業員の福利厚生の充実にも熱心だった。
ラ・サマリテーヌも社員食堂、社宅、学校、老人ホーム、サナトリウム、バカンス村、託児所、ジム、フランスでは初めての個室出産ができる産婦人科病院などを整備した。1980年代にはガン末期患者の緩和医療施設、エイズ患者のための医療施設を開設。1916年に創設されたコニャック=ジェ財団は、100年以上経った今も、創設者の志を継承して活動を続けている。
コニャック=ジェ美術館。
マレ地区には稀な、ひっそりとしたエルゼヴィール通り。16世紀に建てられた旧ドノン邸に、コニャック夫妻が収集した18世紀の美術品が展示されている。
仕事に熱心だったエルネストだが、妻に店を任せて競売に出かけたり、代理を送ったりして美術品を集めた。ラ・サマリテーヌの建築家フランツ・ジュルダンとともにロンドンを旅行し、18世紀の美術作品が充実したウォレス美術館を訪れたり、後にプチ・パレ館長となるカミーユ・グロンコウスキの影響もあって、時とともにフラゴナール、ブシェ、グルーズなどの絵画作品ほか、家具、彫刻など18世紀後半に特化したコレクションとして有名になっていった。しかしエルネスト自身の趣味は多様で、自動車や日本の刀や印篭なども入手していたようだ。ヴァンドーム広場に骨董品店を構えていたエドゥアール・ジョナスも重要なアドバイザーだった。彼はエルネストの遺志でコニャック=ジェ美術館の責任者となるが、彼の店にはマリ=ルイーズも足しげく通い、二人が不倫関係にあるという噂話までがコレクションと共に後世に残っている。
1917年、オペラ地区キャピュシーヌ通りに百貨店の分館 「La Samaritaine de luxe」をオープン。その一室でコレクションを展示するようになる。妻に先立たれたエルネストは収集品をパリ市に寄贈すると遺言状に記し、翌年没した。1929年ドゥメルグ大統領参列のもとキャピュシーヌ通りにコニャック=ジェ美術館がオープン。親密な雰囲気の美術館を望んだというエルネストのために、1990年、パリ市はぴったりのこのドノン館にコレクションを移転させた。小じんまりとした部屋は小・中規模の作品を鑑賞するには最適の環境だ。
人気企画展 “L’Empire des sens”
愛と肉欲が文学、思想、美術、演劇などの大切なテーマだった18世紀、まさしく愛の悦びを描いたブシェ、フラゴナール、ヴァトー、グルーズらの作品を集めた”L’Empire des sens”展。「この夏、最もエロチックな展覧会」などと評され大人気に。
○ Musée Cognacq-Jay : 8 rue Elzévir 3e
月休、10h-18h。7/14も開館。企画展開催期間以外は常設展無料。「L’Empire des sens, de Boucher à Greuze」 展 (7/18まで)は、8€/6€。要予約。階段多く車椅子の入場困難。
La Samaritaine
Adresse : 9 rue de la Monnaie, 75001 Parisアクセス : M°Pont-Neuf
無休 (5/1のみ休)。10h-20h。