「君はヴズールを見たかった、そして僕らはヴズールを見た」。パリから東南方向へ電車で3時間半。フランシュ=コンテ地域圏のヴズールは、ジャック・ブレルがアコーディオンとの掛け合いで情熱的に歌った彼の代表曲の名前でもある。
この町で1995年以来、毎年2月にFICAこと「ヴズール国際アジア映画祭」が催される。昨年はコロナ禍で中止となったが、第28回目の2022年は2月1日から8日まで実施された。
フィクションとドキュメンタリーのコンペ部門、テーマ別の作品上映(今年はアフガニスタン、イラン、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンらシルクロードが通る国の作品など)、監督のレトロスペクティブ上映を用意し、26カ国の計84本(約半数がフランス初上映)を一挙上映した。
日本からは深田晃司監督が作品紹介や質疑応答に朝から晩まで奔走。彼は今年の審査員長のイラン人俳優レイラ・ハタミとともに、名誉賞のシクロ・ドール・ドヌールも受賞した。フィクションのコンペ部門には、日本とベトナムの共同製作である藤元明緒監督の『海辺の彼女たち』が選出され、日本から渡邉一孝プロデューサーが映画祭に参加した。
2月8日に行われた開会式では、チャン・リュル監督の『柳川』が最高賞のシクロ・ドールに輝いた。本作は中国人監督による中国映画だが、舞台は福岡県柳川市で、日本人俳優の池松壮亮や中野良子も出演するボーダレス時代の作品である。また、『海辺の彼女たち』は国際審査員賞を獲得し、日本関連の作品にひときわ注目が集まった年だ。
日本の多くの映画ファンにとって、まだ知られざる存在であるヴズール国際アジア映画祭について、映画祭創設者で、現ディレクターである名物おしどり夫婦・ジャン=マルク&マルティーヌ・テルアンヌ両氏に、映画祭の成り立ちや目的、今年のハイライトについて話を伺った。(聞き手:林瑞絵)
—-なぜ「ヴズールでアジア映画祭」なのでしょう。
マルティーヌ:もともと私は350人の会員がいるブズールのシネクラブで上映活動を行ってました。その延長線上で、映画誕生100年の1995年に向けた記念イベントを立ち上げたいと企画したのが始まりです。映画の生みの親リュミエール兄弟の出身はフランシュ・コンテ地域圏の首都ブザンソン。彼らはこの地域と縁があるのです。私は18歳の頃からバックパッカーでアジアを飛び回っていたので、この機会に自分の大好きなアジアに特化した映画祭を立ち上げたいと考えました。
ジャン=マルク: 私もバックパッカーをしていて、1982年にアジアを旅していた時に、タイのサムイ島のビーチでマルティーヌと出会ったのです。その後、彼女から電話がきて、「これからあなたと生きます。あなたを夫にとります」と言われました。当時、私は法律専攻の学生でしたが、彼女のために全てを捨てました。私の父は「娘が増えた」と喜びましたが、私の母はちょっと鬱っぽくなりました。(笑)しかし、妻は私の誇りであり、この運命に感謝しています。私たちのアジアへの愛がこの映画祭を産んだと言えます。
—-近年は世界の有力映画祭が慌てて「パリテ(男女同数)」を意識し、ディレクター職に女性を据えてます。しかし、この映画祭は90年代からごく自然な形でパリテだったと言えそうです。
マルティーヌ:意識したことはなかったのですが、その通りだと思います。映画のセレクションは2人でしますが、男性と女性の感性は違うので、対話をして一緒に決めることが大事だと思ってます。
ジャン=マルク:しかし、映画の趣味で対立することはありませんね。私たちは完全なハーモニー、陰と陽のシンボルのようなものです。
マルティーヌ:運営方法ひとつ取っても、他の映画祭と同じところなど全くありません。ディレクターである私たちも完全なボランティア。映画祭の分厚い公式カタログは無料で配布しています。宣伝費をかけない代わりに、このカタログの存在が映画祭の強力な宣伝ツールになってます。
—-たしかにカンヌ映画祭の会場で、私もこの公式カタログを発見して持ち帰りました。
ジャン=マルク:私はこの映画祭を「オヴニー」ではなく、「OCNI/オクニー」(未確認映画物体objet cinématographique non identifié。“OVNI/未確認飛行物体”のもじり)と呼んでます。
—-映画祭の目的は当初から変わりましたか。
マルティーヌ:変わりません。一貫して人々に世界をより広く深く発見してもらい、他者への先入観を打ち消してもらうことを願っているのです。頭ごなしにモラルを説くより、映画を見せるほうが効果的でしょう。特に若い人たちには視野を広げてほしい。この映画祭では3歳児の幼稚園児も含んだ学生に積極的に映画を見せます。今回はアフガニスタン出身のゴンクール賞受賞作家で、映画監督のアティーク・ラヒーミーの映画『Syngué sabour. Pierre de patience』を上映しますが、彼には早めに電車に乗ってもらい、彼の映画の同名原作(書籍の邦題は『悲しみを聴く石』)を勉強する高校生の授業にも参加してもらいます。私は現在71歳ですが、いつも好奇心旺盛!まだまだ色々と学び続けたいと思ってます。
—-ちょうど映画祭初日の2月1日はミャンマーでクーデターが起きて丸一年。映画祭開会式ではミャンマーへの連帯を示すため、壇上からお二人が抵抗のサインである3本指を立てましたね。世界の動きに敏感な映画祭だと思いました。
マルティーヌ:私たちは人間の自由や尊厳に関することに積極的に支援し、コミットしたいと願っています。ただし、何らかの派閥やイデオロギーに加担するものではありません。「アクティビスト(政治活動家)」という言葉は好きではありません。
ジャン=マルク:私たちは大きな歴史そのものを語るより、歴史から影響を受けた人々の日常生活や、彼らの視線を見せる映画を紹介したいと希望しています。
—-今回は映画祭期間中の2月4日を「アフガニスタンの日」に設定し、アフガニスタン関連の作品を上映しましたね。
マルティーヌ:イランの巨匠モフセン・マフマルバフを招待し、開会式に彼がアフガニスタンで撮った映画『カンダハール』を上映しました。マフマルバフはタリバンの政権掌握後に、アフガンの芸術家や知識人への支援を最初に呼びかけたひとり。彼とアティーク・ラヒーミー、今回は『アフガン零年/Osama』を上映するセディク・バルマクの三人の監督は、世界の映画祭に向け「『アフガニスタンの日』を設定してほしい」と連帯を呼びかけましたが、今のところその呼びかけに応えたのは、このヴズール映画祭だけなのです。
—-今年の審査員長のレイラ・ハタミ(映画『別離』の主演女優)が壇上に立った時、「なぜかヴズール映画祭はフランスよりもイランで有名です」と紹介し、場内が笑いで和んでいたのが印象的でした。
マルティーヌ:今日もラジオのフランス・アンテール局が、「“ヴズール”って名前は聞くけど、どこにあるんだろう」って言ってました。(笑)しかし、私たちの映画祭はイランや韓国と交流が盛んで、それらの国では「フランスの映画祭といえば、カンヌかヴズールか」というくらいに有名です。本当ですよ!
—-日本との関係はいかがでしょうか。
ジャン=マルク:これまで吉田喜重監督と岡田茉莉子夫妻、小林政広監督、是枝裕和監督など、様々な日本の映画人が来場してくれました。今年は「日本のエリック・ロメール」こと深田晃司監督のレトロスペクティブを開催し、特に『椅子』『ざくろ屋敷 バルザック『人間喜劇』』『東京人間喜劇』など、貴重な初期作品を紹介できたのが満足です。深田監督は偉大な日本の映画監督の仕事のバトンを引き継ぎながら、21世紀の日本人を描く貴重な存在。同時に、バルザックらフランス文化芸術からの作品への深い影響も興味深いものです。また、私たちは作家の個性が感じられる作品や、人間の生活を描いた作品に興味がありますが、在日のベトナム人移民を描いた藤元明緒監督の『海辺の彼女たち』は、そんな私たちの映画祭にぴったりの素晴らしい作品でした。
—-フランス在住の日本人の方に一言を。
マルティーヌ:映画好きの方はぜひ遊びに来てください。おそらく日本でも決して見られないアジアの秀作に出会えることでしょう。カンヌやベルリンのような大きな映画祭と違って、監督と観客の間に垣根は一切ありません。作り手たちも観客に出会いたいと願ってますよ。
Festival International des Cinémas d'Asie
Adresse : 25 rue Dr Doillon, Vesoul , FranceTEL : 03 84 76 55 82
URL : https://www.cinemas-asie.com/fr/