フランスから世界へ 海を渡ったアール・デコ。
アール・デコ様式の萌芽は、1902年のトリノ国際装飾博覧会に出展されたチャールズ・レニー・マッキントッシュの家具や、1903年オーストリアの建築家ヨーゼフ・ホフマンが設計したストックレー邸(ブリュッセル)などにすでに見られる。
フランスでも1916年に装飾博覧会を開催しようという動きが起こったが戦争で頓挫、1925年にようやくパリ万博(現代産業装飾芸術国際博覧会)が開催されると7ヵ月弱で1600万人が国内外から訪れた。通称アール・デコ博覧会。「アール・デコ」の様式名はこれに由来する。
新しい建築、家具、アート、モード、食器など生活用品などの新しいスタイルが提案され、町には映画館、ダンスホール、劇場、ジャズクラブが作られていった。東京の庭園美術館も、当時フランスに留学していた朝香宮鳩彦王がこの博覧会を訪れて、帰国後造らせた自邸だ。
またアール・デコの豪華客船も、このスタイルを世界に広めた。ル・アーヴルとニューヨークを結んだ豪華客船「イル・ド・フランス」(1927年就航)は木工家具作家ジャック=エミール・リュールマンが内装を手がけ、次ぐ「ノルマンディー」号(1935年)ではアール・デコの漆芸家ジャン・デュナン、前出サン・カンタン鉄道駅のモザイクやステンドグラスを制作したオーギュスト・ラブレらが起用された。
当時、世界最大かつ絢爛な客船は「洋上の宮殿」と評された。また、多くの国で、フランスの大使館がアール・デコ様式で造られその魅力を伝えた。
ブラジル・リオデジャネイロの丘の上のキリスト像、ニューヨークのクライスラービルディング、エンパイア・ステートビルディング、ロックフェラーセンターなどの高層ビルもアール・デコで造られたのも、フランスのアール・デコの影響があると、建築遺産博物館主任学芸員で、アール・デコの専門家エマニュエル・ブレオン氏は著している。