フランス北部の町サン・カンタンはアール・デコ様式の建物が多いことで有名だ。第一次世界大戦で町の8割が破壊された後、当時一世を風靡 (ふうび)していたこの様式で町の再建が進められたからだ。今でもアール・デコの建築物が3000ほど町にひしめく〈 野外の建築博物館 〉と言われることがある。平和な時代を謳歌しようと、劇場、シネマ、カジノ、百貨店なども早々に造られた。
中世に建てられた市庁舎は全壊はまぬがれ、その中にある市議会場だけが新しく造られた(写真)。 内装を手がけたのはサン・カンタン市の建築家ルイ・ガンデーズ。照明、手すり、家具…すべてが丹精こめて造られた、この町のアール・デコを代表する傑作だ。
議長席の頭上からは共和国を象徴するマリアンヌが大きく目を見開きこちらを見ている。その背後では陽が昇り光を放ち、新しい時代への希望を与え、復興を励ますかのようだ。その下には町の再建に携わる労働者たちの姿が彫られている。ガンデーズは他にも魚市場、公衆浴場や住宅を建てた。
この4〜5月には、北フランスのアール・デコ建築が門戸を開放するイベントが開催されるというから行ってみよう。(六)
取材協力:サン・カンタン市
Ville de Saint-Quentin
サン・カンタンに咲いた
アール・デコの花。
サン・カンタンはパリの北東160kmにある。人口は5万3千人ほどで、「小さな北の町」のイメージがあったが、行ってみると大聖堂もかつての百貨店も、やけに構えが立派で大きい。パリにあるものと変わらない印象だ。第一次大戦前は百貨店が6軒もあったと聞いて、かつて繊維業で繁栄したこの町の歴史を感じた。
ナポレオンが1810年にサン・カンタン運河を開き、 1850年には鉄道が敷かれ、海へも、ベルギー・オランダ方向へもアクセスが便利になった要衝は、第一次世界大戦が始まるとすぐにドイツ軍に占領された。1917年にはドイツが、ランスからサン・カンタンを通ってアラスまで160kmの要塞群「ヒンデンブルク線」を造るため市民を強制移動させた。その後英仏軍と独軍は激しく戦い、町は廃墟と化した。
市民の帰還は1919年からわずかながら始まったが、まともな生活を送れる状況ではない。それでも1920年には映画館と劇場を兼ねた「カリヨン Carillon」がオープン。1876年創業の百貨店「ヌーヴェル・ギャラリーLes Nouvelles Galeries」はアール・デコ様式の新しい店を27年にオープンする(最初の写真)。ふたつの、吹き抜けの大きなホールは、エジプト風のヤシの木のモチーフで柱頭を飾っているほか、ふんだんに装飾をほどこしてある。黄金色に輝く贅沢な大空間は、4年間の戦争と戦後の困難をくぐり抜けた人々の目にはどう映ったのだろう。
1929年には、駅の反対側に映画館「カジノ Casino」がオープン。この町にも〈狂乱の時代 Les années folles 〉がやって来たのだ。しかしデパートは33年の大恐慌から経営難に陥った。大きな吹き抜けホールは第二次大戦後から60年代まで、ボクシングやプロレスの興行やローラースケート場に使われたという。今は通りに面した部分はスーパー、大きなホールは「アール・デコ宮 Palais d’Art déco」と呼ばれるイベント会場になっている。
サン・カンタンは北の国境にあるがために、1557年には北から攻めてきたスペインとの戦争、1870〜71年の普仏戦争の戦場にもなった。その都度町を再建してきたことが、誇らしげに市のエンブレムに誇らしげに描かれている(下)。
立派なアール・デコ建築はパリにも他の都市にもある。しかし不屈の精神で、人々が未来に夢を託しながら建造したこの町のアール・デコ建築は、特別に美しく見える。 (六)
★百貨店ヌーヴェル・ギャラリーの見学:
4/1、15、22、29。5/6、13、20、27は10h30から。
4/2、5/7、28は15h30。無料。
住所:14 rue de la Sellerie
予約:03.2367.0500
★映画館「カジノCasino」見学:
4/13、27、5/11、25は18h30。4/16、5/14は14h。無料。
予約:03.2367.0500
住所 :Rue du Général Lecler