佐伯正子さんは1973年に渡仏し、長年技術翻訳・通訳者として活躍してきた。また、週3冊ペースで読書をする「本の虫」。そんな正子さんの軌跡をたどってみた。
O : ご出身はどちらですか?
M : 東京都武蔵野市で生まれ育ちました。都会では珍しく、大きな庭の真ん中にある祖父母の家を取り囲むように、父の兄弟が結婚して敷地内に家を建てたため、大家族でした。私と妹は、まさことのりこで「まーのんちゃん」と呼ばれ、いとこたちと大きな庭の中で走り回って遊んで育ちました。
O : フランスに来るきっかけは?
M : 女子短大を休学しアテネフランセで2年間フランス語をみっちり勉強した後、1年くらいはフランスに留学しないとものにならないと思ったので、フランス語の勉強の仕上げのために1973年にパリに来ました。
O : なぜフランス語を選んだ?
小さい頃から読書が大好きな「本の虫」で、とにかく言葉に興味がある子でした。また、法学部を目指していた旧制高校時代にドイツ語を学び、農林省に勤めた父の影響で外国語を学びたいという気持ちが幼い時から強かった。英語が思う存分学べることを期待し女子短大の英文科に入学したものの、授業の内容にがっかり。当時の女子短大生は、卒業後は少し仕事をし何年かたてばお嫁に行くのが理想、という風潮がありました。でも私の人生がそのようになるとはどうしても思えず、先が見えなくなりノイローゼになって休学しました。それでも外国語を学びたい気持ちは強く、都内の語学校を回り、たまたま毎日授業があったアテネフランセに登録したのがきっかけです。アテネフランセに通った後のパリ留学は1年だけの予定でしたが、留学中にフランス人の夫と恋に落ちフランスに残ることに決め、1975年に結婚しました。年頃の娘によくあるパターンですね(笑)。
O : 翻訳・通訳のお仕事をずっとされていましたよね。
最初の仕事は、ピンチヒッターとして受けたポンプ会社の技術通訳でした。技術やライセンス契約に関する通訳だったのですが、なんとそれがとても面白く、面白いことにはのめり込むタイプの私は商社の人々に「ヘルメットをかぶって現場に行って技術通訳をやりたい」とお願いするほどでした。その後、鉄鋼、自動車、原子力関係の技術通訳の仕事で経験を積んでいくうちに、この仕事は天職だと思うようになりました。技術通訳というと専門用語ばかりでとても難しいという印象がありますが、専門用語を1つ2つわからなくてもそこでつまずいてパニックを起こさずに、じっと人の話を聞いて、その人が何を言いたいのか理解する。そしてその間に専門用語を覚えてしまう、というのが私のやり方でした。技術通訳以外では、子どもたちが主体となって学習を進める自由な教育方法で知られるフレネ教育運動の世界大会での通訳で、ブルターニュやイタリア、セネガルなどに赴きました。フレネ教育運動に関わって、かれこれ40年になります。
通訳は「言葉」を使って私ができることを通して役に立っている、社会の動きに関与していると感じられる仕事だと思います。
O : ずっとパリにお住まいですか?
2003年に原子力燃料リサイクル会社の通訳の仕事で1年間シェルブールに住んだことがあります。海辺の生活は楽しかったですが、基本的に私は「都会のネズミ」。映画館、美術館、本屋と劇場がないと欲求不満になるので、都会にしか住めないと思っています。来年で在仏50年ですが、50年経った今でも、おのぼりさん的な感覚でパリが大好きです。例えば、オルセー美術館の帰り道にセーヌ川沿いを散歩している時や、凱旋門近くの映画館から出て来て、コンコルド広場を歩いていたらぽっと街灯に灯がともった時の美しさを前にして、パリに住んでいる幸せを実感しています。
O : では、今後もパリに?
2019年に妹が亡くなってから94歳の母が急に弱ってしまったため、パリと東京、半々の生活をしています。日本に戻っては母に関するできる限りの手配をして、大丈夫になったらフランスに戻るという生活です。普段は姪が母の面倒を見てくれていますが、やはり娘の私がやるべきだと思うので、何年後になるか分からないけれど、こちらでの生活をたたんで最晩年は日本で送り、最終的には日本で死ぬのではないかと思います。若い頃は、歳をとるというのは「猫でも抱いて縁側でのんびりひなたぼっこ」というイメージを持っていました。しかし実際は、戦場のように大切な人たちがバタバタと死んでいく。大変なんだというのに気がついて。1998年に46歳で夫が亡くなり、2004年に父が亡くなり、いとこたちも亡くなり、私の世代は3つ上のいとこと私だけになってしまった。大好きなパリを去ると決断するまでにかなり迷いましたが、ゆくゆくは母と、隣に住むいとことその家族の近くで暮らしたいと思います。
O : 最後に読書好きな正子さんの、オススメの本を教えてください。
アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記』。フランス人作家では、ル・クレジオが好きです。そして、これから死ぬまでカミュを系統立てて、きちんと向かい合って読み直したい。カミュは、社会のあり方に疑問を抱いたり、辛かったりした時に、一緒に絶望することによって読む人を深く慰め、希望を抱かせる力があると思います。去年の夏、東京で「異邦人」を読んだ時、東京の暑さとアルジェのそれが重なり、読み進めていくうちに若い頃に気がつかなかった部分もあり、とても印象深い読書体験でした。世界中で不安定な状況が続く今、心細くなった時は日本憲法やヴィクトル・ユーゴーの政治的な文章、国会議員だった彼の演説や、死刑反対や報道の自由について書いた本を読んでいます。
1950年生まれの私は、得した世代だと思います。戦争が終わり日本はどんどん経済的に発展し、色々な問題を抱えながらもリッチな国になりそれを享受することができた世代。現在の世界情勢を前に、得した割には若い世代にツケを残したような、申し訳ない気持ちになることがあります。そのたびに、アテネフランセに通っていた頃のフランス文学の講座で「文学が世の中に及ぼす力」という見方を教わったことを思い出します。今後日本が私の生活のベースになっても、大好きなフランス人作家の本を読み、フランス映画をみて、新旧作家の素晴らしい作品に触れ、大好きな「言葉」を通してずっとフランスと繋がっていたいと思います。(た)