René Iché (1897-1954): l’art en lutte
第一次世界大戦が終わって人々が自由を取り戻し「狂乱の時代」と呼ばれた1920年代。パリでは芸術家たちが人々の注目を浴びるスターとなっていた。モンパルナスでは藤田嗣治、ヴァン・ドンゲン、モディリアニなど「エコール・ド・パリ」と呼ばれる外国人アーティストが、作風は異なってもコミュニティを形成していた。フランス人もいたのだが、彼らほど華々しく取り上げられることはなかった。
その一人が、彫刻家ルネ・イシェ(1897-1954)だ。戦時中にレジスタンス活動に参加し、戦後は人権のために尽力した彼の人生と、そこから生まれた作品に光を当てた回顧展が、北フランスの文化都市リール近郊、ルーベの美術館「ラ・ピシーヌ(フランス語で「プール」の意)」で開催されている。
南仏オード県の薬剤師の家庭に生まれた。当時としては珍しいバカロレア取得者で、モンペリエの美術学校で美術を学び、第一次世界大戦中はエリート養成のサン・シール陸軍士官学校で教育を受け、医学部で医学も学んだ。自ら参戦し、除隊後はパリに出て、法学の学士号を取得し、ジャーナリストの仕事をしていた。モンパルナスのカフェ「ドーム」で出会った米国人から、ブールデルの私塾(現・ブールデル美術館)に通っていると聞き、1921年にそこを訪れたのが後の人生を決定した。
ブールデルの私塾にいたのはたった数ヵ月間で、その後はソルボンヌで美術史を学んだり、ブールデルの友人の建築家オーギュスト・ペレから教えを受けたりと、彫刻家としては異例の道を辿った。そして1923年には早くもアンデパンダン展に出展した。
展覧会で注目されるようになり、モディリアーニの画商だったレオポルド・ズボロフスキーと契約するほどになった。私生活では、服飾デザイナー、ポール・ポワレのファッションモデルでイシェのモデルも務めていたルネと結婚、ルネの連れ子のロランスを娘として認知する。思春期のロランスをモデルにした作品 Contrefleur (下の写真)は、頭は子どもだが、女の体になりつつある少女が不安そうに俯いて立っている、大人への移行期を表した作品だ。
イシェの彫刻には、見る人の感情に直に訴えるのではなく、一呼吸の間をおいて考えさせるようなものがある。「戦争」のテーマでは、第一次世界大戦で息子を失った母親が、遺品の兵帽で泣く場面を捉えた。いくつものヴァリエーションがある「闘う人」は、スポーツの場面なのか、敵同士が戦っている場面なのかわからない。見方によって真逆の解釈ができる。
第二次世界大戦後に発表した「カップル」という作品がある。男性が女性の腰にしがみついている場面だが、作者が元々つけた題名は「強姦」だった。それがいつの間にか「カップル」になった。愛する二人なのか、男性が女性を力づくで言いなりにさせようとする場面なのか。イシェは女性に対する性暴力をなくす運動をしていた。
反ファシズムを貫き、1937年、ゲルニカが独軍に爆撃された時は、すぐに次女のエレーヌをモデルに、少女の骸骨が立っている彫刻「ゲルニカ」を作った(写真上)。1940年、ロンドンからドゴール将軍が発した呼びかけに応じて、レジスタンスに参加。イシェのアトリエはレジスタンスの闘士の溜まり場となった。この時期のもう一つの重要な作品は「引き裂かれた女」だ。女性の顔は見えない。ペタン元帥の命令に従ってドイツ軍に占領されたフランスを、顔を隠した左腕で表し、レジスタンスに入ったもう一つのフランスを高く上げた右腕で表した。
美術学校で彫刻を学ばなかったイシェには注文が来ず、生活は楽ではなかったという。当時は国立美術学校で彫刻を学び、ローマ賞を得て、国や公的機関から注文を受けて製作するのが彫刻家の王道だった。戦時中は、ヴィシー政権がフランスを占領したドイツに対して協力体制をとったため、国立美術学校出身の彫刻家の9割が、ローマ賞受賞者は全員がナチスに協力した。こうした汚点がなかったイシェは、戦後認められるようになった。彫刻家の権利を守るために彫刻家組合を設立し、「グラフィックアーティストと造形作家協会」の設立にも加わり、著作権の保護などについて活動したが、1954年に惜しくも癌で没した。
展覧会のコミッショナーは、元ジャーナリストでイシェの孫のローズ=エレーヌ・イシェさん。生まれた時、祖父は既に亡くなっていたが、残された資料、叔母のロランスから聞いた逸話など、家族でなければ知らない情報をふんだんに伝えてくれた。
会場の「ラ・ピシーヌ」は、1932年から1982年まで使われていた市営プールを改装し、別の場所にあった市立美術館の所蔵品をもとに、2001年に美術館として開館したところだ。真ん中に水をたたえたプールがあるアール・デコの内装で、開館以来、高い人気を保っている。常設展の一角では、イシェのデッサンが見られる。ルーベは繊維工業で栄えた町だったので、テキスタイル見本も豊富だ。館内のカフェは、地元のワッフル店が運営(火〜日、12h – 17h30)。
8月18日までは、中央のプールがある展示室は工事のため入場不可。(羽)9月3日まで
★ルーべに行くなら、こちらもおすすめです。
Tourcoing では→【写真展】ヴァレリー・ブラン「不確かなこの世の美」
Lille では→ Lille 3000 : 『部屋を片付けなさい!Range ta chambre!』展
Croix →「近代建築の名作、カヴロワ邸」
ロベール・マレ・ステヴァンスがルーべの繊維工場主のために建てた邸宅。
https://ovninavi.com/ovni790pdf/
La Piscine(Musée)
Adresse : 23 rue de l’Espérance , Roubaix , FranceTEL : (0)3 20 69 23 60
アクセス : Paris Gare du Nord(北駅)リールで乗り換えでRoubaix駅下車、徒歩500m。展覧会開催中はパリ北駅からルーベまで直行は22h25時間半 (他の直行はTGV Massy駅からとCDG空港からがある)。メトロ駅はLigne 2« Gare Jean Lebas » または« Grand’Place »
URL : https://www.roubaix-lapiscine.com/
火水木 : 11h-18h 、金:11h-20h、土日:13h-18h。特別展開催期間中 11/9€ 特別展のない期間9-6€ (金曜18h-20hは入場無料)。