昨年、著書「Le Japon vu par Yamada Yôji (山田洋次が見た日本)」の出版以来、さらにその存在が注目されるようになったジャーナリスト、クロード・ルブランさん。長年、日仏交流の推進を支える人物であるが、意外とその素顔が知られていない。改めて話を聞いた。
ジャーナリストとして
「日本に精通したジャーナリスト」として知られるクロードさんは、その実フランスのアジア報道の第一人者。現在は、日刊紙『ロピニオン』のアジア部ディレクターとして、アジア諸国の時局を主軸にした国際情勢を伝えている。そんな彼のキャリアの原点が本紙にあることを知る人はもう少ないかもしれない。
「ラングゾー(国立東洋言語文化学院INALCOの通称)の学生だった1980年代、フランスにはリアルな日本の情報が乏しいと嘆いていた私に、当時の『オヴニー』の編集者が、ならば自分が見た日本について連載記事を書いてみないかと声をかけてくれました。それが記者になったきっかけです」。
卒業後は、月刊紙『ル・モンド・ディプロマティーク』の日本特派員を経て、週刊国際情報誌『クーリエ・アンテルナシオナル』に起用され、2005年に編集長に就任。アフリカ専門誌『ジュヌ・アフリク』の指揮を任された時期もある。気がつけば押しも押されもせぬ国際ジャーナリストになっていたクロードさんの「報道人は、人々が盲目的に都合のいい世論に流されず、自身の意見を構築するためのデータとして、バイアスのない情報を提供しなければならない」という信念は、現在、彼が週に1度教鞭を取るリール・カトリック大学での授業の支柱でもある。
スペシャリストとして
クロードさんは報道記者である傍ら、個人の活動として、日本について自身の持つ幅広い知識を様々な形でシェアしている。1990年代には、日本年鑑『ジャポスコープ』*の編集と執筆に着手。連年発行を続け、10年目にその学術的功績が認められて渋沢・クローデル賞特別賞を受賞した。『オヴニー』での連載は、本格的に第三次日本ブームが押し寄せていた2010年、日本の情報に特化した月刊誌 『ズーム・ジャポン』に発展。創刊時から現在まで、クロードさんが編集長を務めている。また『ロピニオン』のブログでも、定期的に彼の「サブな」知見を存分に読むことができる。今夏の『マンガ文化』は圧巻のボリュームだ。
鉄道にも詳しい。「日本に行ったら絶対に電車で地方を訪れて欲しい」と、10年前に『Le Japon vu du train (車窓から見る日本)』* *というガイドブックシリーズの出版を始めた。「鉄道事情はその国のあり方そのもの」というクロードさんは、日常的にトラブルが生じる自国の鉄道については「1分の遅れを放置することが、いずれシステム全体の崩壊を招く。だから私たちも遅れに慣れてはいけない」と厳しい見解を展開する。
映画への思い入れも強い。週に2回は映画館に通い、コロナ禍には自宅の一室をシアタールームに改造した。パリで立ち上げたシネマクラブは、ヴィシーでも展開。インディーズから名作まで多様な日本映画を紹介した。毎回上映会後に開催した討論会には、是枝裕和、黒沢清監督など著名人も招致して、時には自らが論者にもなった。日本の雑誌に洋画評論も書くというクロードさんは、マルチな「スペシャリスト」だ。
偶然の先の運命の出会い
日本との縁は偶然の重なりだという。「小学生のときに何かの賞で贈られた本に日本の環境問題について書いてあったのが最初の縁(笑)。その後は、中学2年の地理の授業で学んだ日本の印象が強かったのは覚えています。でもラングゾでは中国語を専攻しているんですよ。日本語は、趣味で勉強したという程度…」(クロードさんは7ヶ国語を習得したマルチリンガルだ!)。
日本との距離が縮まったのは、高校生のときに始めた文通がきっかけ。栃木に住んでいた文通相手に「遊びにおいで」と誘われ、「必死で働いて航空券を買って」未知の国に飛び立った。田舎の家庭や都会の雑踏、何もかもが刺激的だった2ヶ月間に、20歳のフランス人青年の心をつかんだのは「寅さん」。スクリーンいっぱいに溢れる人々の喜怒哀楽と「等身大の日本社会」を描いた作品が頭から離れなかった。この時に買った山田洋次監督のエッセイ本『映画館がはねて』(講談社)は、今でもクロードさんの心のバイブルだ。
物書きとしての使命
フランスで山田洋次が知られていないことに納得がいかなかったクロードさんは、「この国でこの偉大な映画人の名を広めたい」と思うようになる。その願いはいつしか「使命」となり、以降様々なオマージュ企画を構想するも、いつも資金不足に悩まされた。山が動いたのは3年前。山田監督についての本の出版を決心すると、巡り巡ってその思いが監督本人まで届いた。長年大きな壁だった松竹の協力も得られ、挿入写真が揃い、悲願の監督への直接取材が叶うと、クロードさんは長いマラソンのラストスパートをかけるように、執筆作業をスタートさせた。
2021年11月、752ページに及ぶ『Le Japon vu par Yamada Yôji (山田洋次が見た日本)』が出版された日、パリ日本文化会館の「男はつらいよ」全50作品回顧上映会場で、クロードさんは「寅さん」を観る大勢の客の笑い声に包まれながら「最後の使命」に思いを馳せた。「自著を日本語に訳して、山田監督に読んでもらいたい」。
空気を読まず、正論をあきらめない
クロードさんに、日本が好きかと聞くと「好きなところもあるし、そうでないところもある」と返ってくる。かつて日本政府のクール・ジャパン戦略の影響もありフランスで「kawaii文化」がもてはやされていた頃、クロードさんは幾度となく「経済低迷と原発事故、そして少子化問題。このままでは日本は世界の信用を失い、いつか〈経済大国〉でなくなる」と警鐘を鳴らしていた。その上で「ビジュアル的なインパクトに頼ると、一過性の注目しか集まらない。今、日本という国を動かしている根底にあるものを伝えるべきだ。人は物事を知ることで関心を深め、その関心はいつか理解に変わり愛着に結びつく。そういう人たちが日本に旅行していずれリピーターになっていくのだから」と付言した。その考えは今も変わらない。(り)
クロードさんが書いたL’Opinion紙の記事はこちらからご覧になれます。
以下の著書は、いずれもこちらで購入できます。
*『ジャポスコープ』
**『Le Japon vu du train (車窓から見る日本)』
***『Le Japon vu par Yamada Yôji (山田洋次が見た日本)』