「洋菓子のヒロタ」の創業者、廣田定一(ひろた・さだいち)氏は、今から50年前、パリに店を開いた。かの有名なシュークリーム屋さんを日本全国に180店舗展開していた1973年のことだ。
千葉に生まれ、東京、横浜で製菓修業。「世界一になりたい」との思い胸に、戦争直後はマッカーサー元帥の誕生日ケーキを作り、その後、洋菓子を日本人の生活に浸透させた。そして「本場」パリ進出を決心する。そのパリ店経営を任されたのが次女の牧はる子さん、この本の著者だ。昨年パリで米寿を迎えた著者が、グラスを片手に孫や読者に話しかけるような文体で書かれている。
父親のこと、日本での少女時代と難病、同級生だった美智子妃殿下との交友、パリ店オープンの話。カステラ、マロングラッセ、割れた栗を使った羊羹やショッソン・オ・マロンなどが好評だったという話…。
もともと食道楽の著者はまた、50代で新しい食事業に挑戦する。パリ8区に1986年惣菜店「おかめ」を開くのだ。試作のお弁当を愛車オースチンに載せ「飛び込み営業」で顧客を獲得していった。本書解説を書いた元NHK欧州総局長の磯村尚徳氏は、さつま揚げのファンだったという。
父親がパリ進出を考えていた時、日本にいたフランス人に相談すると「日本人が作った洋菓子などフランス人は食べないだろう」と言われたというエピソードも印象的だ。この半世紀で、フランスの日本人シェフをめぐる状況は劇的に変わり、今や日本人シェフは引っ張りだこ。和食ブームとなって久しいが、当時、普通の人はこんな時代がやってくるなど想像だにしなかった。そんな今日こそ、パリに日本食の礎石を置いたパイオニアの声に耳を傾けたい。