Musée Lalique ラリック美術館
「ガラスの詩人」ラリックが選んだ地。
18世紀のガラス工房の跡地に、2011年にオープンしたラリック美術館。窓からは草を食む馬や、靄 (もや)がかかった森が見える。自然界をデザインの源泉としたルネ・ラリック(1860-1945)の作品世界と融合するような環境だ。
早くに父親をなくし、16歳で金銀細工の見習いをパリで始めたラリックは、やがて高級宝飾品職人としてキャリアをスタート。一時はカルティエなど有名メゾンのデザインも手がけたが、次第に新しく廉価な七宝、象牙(人工象牙も)、プラスチックなどの素材を使いアール・ヌーヴォー様式のアクセサリーを作るようになる。草木、昆虫、女性をモチーフにしたものが1890年頃に大人気となりパリのヴァンドーム広場に店を開く。ガラスを扱い始めたのもこの時期だった。
展示は彼の斬新かつ繊細なブローチや髪飾り、ネックレス、若い頃のデザイン画などから始まり時代を追っていく。1900年パリ万博内の宝飾品スタンドの写真、1907年の香水商ルネ・コティとの出会いを機にデザインを続けた膨大な数の香水瓶コレクション。1925年の現代産業装飾芸術博覧会では自前のパヴィリオンを構え、その前に巨大なガラスの噴水を設置。その写真を見ると、ラリックのガラス製造における卓越性を世界に知らしめた博覧会の雰囲気が伝わって来る。
第一次世界大戦後アルザスがドイツから返還されると、仏政府は企業の誘致を奨励。ラリックは製造拡大を図って、熟練の職人が多いこのヴィンゲンに 「アルザス・ガラス工場」を創設した。「ガラスの詩人」と言われただけではなく、進取の精神豊かな実業家でもあったラリックは新技術を開発しては幾つも特許を登録したり、量産を可能にした。1922年に操業を始めた工場はラリック社唯一の生産本拠地として日々230人が働き、クリスタル製品を世界へと送り出している。(集)