Laurent Grasso — Clouds Theory
ローラン・グラッソ(1972-)の作品を見ていると、ここはどこなのか、なぜ自分がここにいるのか、わからなくなりそうだ。作品には謎が多く、見れば見るほど頭の中が疑問だらけになる。
現代美術のコレクターたちが作ったNPOが革新的な仏現代美術作家に授与するマルセル・デュシャン賞を2008年に受賞し、世界で展覧会をするグラッソは、現代美術の重要な作家だ。日本でもギャラリー「ペロタン東京」や、エルメス銀座店のギャラリー「アートフォーラム」で個展を開いたことがある。
その彼が、印象派150周年記念イベントで、ノルマンディーのジュミエージュ大修道院に招かれ、新作を発表した。ヴィクトル・ユゴーがその廃墟の美しさを賞賛したことで有名になり、ロマン派の作家や知識人が詣でたベネディクト派男子修道院だ。ルーアンの西約30キロに位置し、メロヴィング朝の貴族で聖職者となった聖フィリベールが654年に創立した。彼が起こしたと言われる奇跡で知られ、最盛期の700年には、900人の修道僧と1500人の使用人を抱える大修道院となった。
バイキング襲撃、宗教戦争、天災、革命…修道院の歴史反映する作品。
グラッソは、展覧会の前に、開催場所の歴史を研究し、そこで得たものを作品に取り込む。ジュミエージュでも同様で、修道院の破壊の歴史に天災や災害の歴史を重ね合わせたものが、インスピレーションの源となった。
修道院は841年にバイキングの襲撃で焼き討ちに遭い、僧たちは別の僧院に避難を余儀なくされた。その後、ノルマンディー公ギヨーム1世の治下で大僧院の再建が試みられたが、公が942年に暗殺されたため、復興が遅れた。
1066年には大きなハレー彗星が出現した。当時、彗星は不吉の前兆とされていた。イングランドでは跡継ぎがいなかったエドワード懺悔王の死後、王位争いが起きた。彗星出現の2ヵ月前にアングロサクソン人のハロルドが新王になったが、ノルマンディー公ギヨーム2世(後のウィリアム征服王)が、それを不服としてイングランドに攻め入り、ハロルドは戦いに敗れて戦死した。ギヨーム2世のイングランド征服を刺繍で表したバイユーのタピスリーには、彗星がハロルドの王位を認めない神の意志として示されている。
1348年にはペストがルーアンで猛威を振るった。1562年、新教徒と旧教徒間の宗教戦争であるユグノー戦争の最中に、ジュミエージュはユグノー(新教徒)たちに荒らされた。1755年にはリスボンで津波を伴った巨大地震が起き、地震はノルマンディーにも伝わった。そして1795年。仏革命で宗教コミュニティに解体命令が出て、建物はさらに廃墟化し、ついには再建不可能になった。
グラッソの目は未来にも向けられる。2030年は、1972年にマサチューセッツ工科大学の研究者メドウズらが発表した「成長の限界」報告書(メドウズ・レポート)の中で、産業による環境破壊と資源不足が原因で世界の経済システムが崩壊する年とされている。その後の2046年と2182年には小惑星が地球付近を通過する。その時のインパクト次第で、天災が起きるかもしれない。ノルマンディーとジュミエージュ大修道院に大きな跡を残した(または今後残すであろう)これらの年を数字のネオンで浮かび上がらせ、本展のために作ったインスタレーションが「TimeTravel」だ。
修道院で発表したもう一つの新作「Clouds Theory」のタイトルは、フランスの美術評論家、ユベール・ダミッシュが西洋絵画における雲の意味や象徴するものについて書いた「雲論 Théorie du nuage」に由来している。グラッソは雲の形をした銅製の彫刻を修道院のあちこちに置いた。磨かれた平らな表面は、過去と未来を映す鏡のようでもあり、裏のゴツゴツした部分は光の当たり具合で燃えているように見え、修道院を襲った火災を思わせる。
「色が綺麗とか明るいと捉えられても構わない、自分の作品は感覚的なものだから」とグラッソは言う。感覚に訴える作品であることが印象派との共通点でもあるようだ。雲の形は美しいが、雲は酸性雨を降らせる毒雲や、原爆投下でできたきのこ雲でもありうる。軽い雲をあえて金属で表現したことにも何らかの意図がある。素材となった銅は、人類が古代から最も利用してきた非鉄金属で、世界の文化文明と密接につながっている。このようにグラッソの作品は、見る人によって異なるさまざまな解釈の可能性を含んでおり、一筋縄ではいかない。
廃墟の壁のあちこちに、炎の形をした赤いネオンのインスタレーションがある。雲の形の銅の彫刻の表面に映った炎は、さらに赤さを増し、これも火災を思わせる。オリンピックが終わったばかりの今、炎の形から聖火を想像する人もいるだろう。さらにそこから、オリンピックの発祥地ギリシャで首都まで脅かしている山火事が頭に浮かぶ。
廃墟から少し歩いた場所にある敷地内の館では、過去の作品を展示している。台湾の南東にある孤島、蘭嶼(らんしょ)の上空を、不思議な黒い四角い物体が通っていくビデオ「Orchid Island」(2023)には、ほとんど人が映らず、荒々しい自然を美しく見せているが、島に低レベル放射性廃棄物の貯蔵施設があることを知れれば、見方は変わるだろう。
オービュッソンの工房との共同制作は、「Study into the Past」と題するシリーズの一つで、何世紀も前の西洋絵画に出てくるような騎士2人が、街の中に現れた雲を見ているタピスリーだ。どこかで見たような古い風景の中に、見たことのないものが混じり、S F的な魅力の作品になっている。
過去の作品を展示した館には複数のビデオ作品があり、一作を見終わるまで時間がかかるが、どれも最後まで見る価値がある。せっかくジュミエージュまで来たからには十分時間をとって、グラッソ的世界と廃墟の組み合わせを楽しんで行ってほしい。(羽)9月29日まで
☞ルーアンでは、こちら展覧会も開催中!
・「デイヴィッド・ホックニー :ノルマンディー主義」ルーアン美術館(9/22まで)
・「ホィスラー WHISTLER, L’EFFET PAPILLON」ルーアン美術館(9/22まで)
【パリからの行き方】
パリ=サン・ラザール駅から鉄道でルーアンまで約1時間半。
ルーアンからは中心部のバス発着所(地図リンク)から530番Caudebec-en-Caux行きに乗りAbbaye下車。
★バス530番の時刻表はこちら
9月:日曜のみ Abbaye 停留所に停車。1日7本(下は日曜と祭日の時刻表)
Abbaye de Jumièges
Adresse : 24 rue Guillaume-le-Conquérant , Jumièges , FranceTEL : 02 3537 2402
アクセス : パリのサンラザール駅から鉄道でルーアンまで約1時間半。ルーアンからは中心部のバス発着所から530番Caudebec-en-Caux行きに乗りAbbaye下車。
7€ /26歳未満無料。 9/15まで:9h30-18h30 。9/16〜:9h30-13h/14h30-17h30 。切符販売は閉館30分前まで。無休。