第一次大戦後にドイツで生まれた芸術運動 「ノイエ・ザッハリッヒカイト(新即物主義)」を導入部分とし、人物写真で知られるアウグスト・ザンダー(1876-1964)の写真展を組み合わせ、1918〜33年のワイマール共和国時代を芸術、社会、経済などの角度から見せる展覧会。展示作品や資料が900点と膨大だ。
ノイエ・ザッハリッヒカイト
まず、タイトルからして厄介だ。ドイツ語のノイエ・ザッハリッヒカイトは 「新即物主義」。仏語で「ヌーヴェル・オブジェクティヴィテnouvelle objectivité」だが、どちらもピンとこない。同展のコミッショナーに聞くと、「ザッハリッヒカイト Sachlichkeit (名詞)の形容詞形 ザッハリッヒsachlichには様々な意味があり、仏語や英語には訳せない。あえて言えば実務的foncitonnelとか、控えめな sobreとか。人を例にとれば、メルケル前首相がザッハリッヒな人」と、難解な答えが返ってきた。辞書によると、事実に関したことや事柄を、感情や偏見を加えず、余分な装飾を排し、冷静に、ニュートラルにとらえることのようだ。
作家のハインリヒ・マンは、1918年に発表し、大いに売れた小説『臣下』に 「ドイツ人の美徳はザッハリッヒであること」と書いた。当時は肯定的に捉えられていたことがわかる。
そして1925年、マンハイム美術館館長が 「ノイエ・ザッハリッヒカイト」展を開催しドイツ中を巡回したことから、この動きが演劇、建築、音楽など芸術分野全般に波及した。美術では戦前の表現主義のような激しさのない具象画が出てきた。代表的な作家としてジョージ・グロスやオットー・ディクスがいる。会場ではビデオや音楽も交えて、様々なスタイルの絵画、写真、建築 などの当時の雰囲気を伝えている。
ナチスに弾圧される前の1920年代は、LGBTQが自由を満喫した時代でもあった。ジャンヌ・マメンは男装した女性たちが集まる店のなかの様子を描いた。作家トーマス・マンの娘エリカと息子クラウスはともに同性愛者だった。同じ髪型、同じ服装で性別がわからない二人の肖像をロッテ・ヤコビが写真に撮った。
工業化で大量生産が始まった時代、人々は米国文化を受け入れ、ダンサーたちの機械のように統一されたラインダンスに魅了された 。工業製品を静物のように撮る写真家もでてきた。月曜の朝、多くの人々が職場に向かう場面を、その人たちが個性を失ったかのように描いた画家もいた。
会場は3層の入れ子状になっている。一番外側が1920年代のドイツ、その内側がザンダー展、そして中央の空間に20年代の建築などが展示されている。面白かったのは、中央にある建築家マルガレーテ・シュッテ=リホツキーがデザインしたシステムキッチンだ。フランクフルト市が労働者住宅のため1万個発注した。この建築家の代表作で、女性の家事労働を軽減するため動線を短くし、小さな機能的な空間になっている。映像で伝統的な台所との違いが見られる。
芸術と政治
異なる社会層の人たちを写真に収めたザンダーは、全12冊 「20世紀の人間」シリーズの1冊目を1929年に刊行した。農民、職人、ほか様々な職業と大都市住民、女性…とグループ別に分類。カメラを見つめる人々を飾り気なしに撮った彼の写真がこれだけ見られるチャンスは滅多にない。先に1920年代展、その後ザンダーを見ると、ザンダーの仕事を評価しやすいかもしれない。
1925年にノイエ・ザッハリッヒカイト展が開かれたマンハイム美術館で、33年に政権を握ったナチスが 「ボルシェヴィキ文化展」を主催した。20年代の同館の購入方針を批判するのが目的だった。その中に5点、ノイエ・ザッハリッヒカイト展に展示された作品があった。
1925年からたった8年でドイツの芸術界は大転換した。その後ナチスは1937年に前衛美術を忌わしいものとして展示する 「退廃芸術展」を開催。ザンダーの写真集もナチスに押収され、焼かれた。
政治が芸術に与える影響は大きい。先のフランス国民議会選挙で極右政党 が第二党になり、社会で極右が普通になりつつある今、本展を見て歴史に目を向ける意義は大きい。 (羽)9/5まで
Centre Georges Pompidou
Adresse : pl.G-Pompidou, 75004 Parisアクセス : M°Rambuteau/Hôtel de Ville
URL : http://www.centrepompidou.fr
火休 11h-21h (木-23h) 14/11€