大山麻矢さんがOLをやめてパリに来たのは6年前。短大時代に初めて旅行で訪れてから、いつかこの街で生活をしてみたいと思うようになったのだという。
映画が大好きな麻矢さんは、日本では独力で中編映画を一本撮ったことがある。パリでしっかり映画の勉強がしたいという希望があったものの、当初は2年で日本に戻るつもりだったそうだ。人生の行方がまだはっきりとしなかったその頃、フランス生活がずっと続きそうな今の自分をきっと想像もしていなかったことだろう。
語学学校の後に入学したパリ第7大学(Jussieu) の映画科では、映画理論やシナリオのコースを取った。現在は修士課程を終えるために論文を書いている最中だ。50年代のフランス映画、特にアラン・レネにとても惹かれるという。またフランスでは日本でなかなか観る機会のなかった日本映画、たとえば羽仁進や勅使河原宏らの作品を再発見することができ、とても貴重な体験となった。
パリに住み始めてからの6年の間に短編映画を2本製作。結婚式のビデオ撮影・編集のアルバイトでお金を貯めては、全部映画につぎ込んでしまうのだそうだ。そして今年の4月には日本へ帰る予定だったが、帰国準備をしながら、パリ最後の思い出にとウルク運河沿いのアトリエを借り、この2月に映画仲間4人と合同で映写会を催し、最新作 「夏なのに寒い8月」(99年、上映時間10分)を公開した。反応はとてもよく、それがきっかけで4月に開催された国際SNCF鉄道映画祭で審査員を依頼され、そのうえ映写会の4人の仲間のひとり、その時に知り合った実験映画をつくっているジャン・リュック君と、なんとこの秋結婚することになった! 幸せいっぱいのふたりは、この夏一緒に日本へ行く。ご両親に彼を紹介…だけでは済ませない。次回作をついでに日本で撮って来ようという、どこまでも映画人間の麻矢さんなのでした。(仙)