モーパッサンの『脂肪の塊 Boule de suif』(1880年)がこの作家の出世作になったのには、主人公であるノルマンディー美人の描写の素晴らしさが一役買っている。ぽっちゃりとした体型から「脂肪の塊」とあだ名をつけられたこの高級娼婦に、フランスの男はもとより、敵国の異性も次々と引き寄せられていく。
この「粋筋の」女性はただ太っているわけではなく、その行動や言動には勢いがあり、気持ちのいい生命力に満ちている。物語が進むにつれて、そのみずみずしさの一端が、どうやら美食にあるということが分かってくる。食通として名をはせた司法官で「食の哲学者」とでも呼びたくなる当時の文化人ブリヤ= サヴァラン(1755~1826)も、『美味礼賛』(1826年)の中でこう述べている。「きわめて正確なきびしい一連の観察は、滋養のあるおいしいものを常食としていると、容貌がいつまでもふけずに若く保たれるということを証明した。おいしい滋養のある食事は目にいっそうの輝きを、皮膚にはいっそうのみずみずしさを、筋肉にはいっそうの張りを与える」。(関根秀雄・戸部松実訳)
脂肪の塊がこの文を読んだか読んでないかは知る由もないけれど、女たちは、誰に指摘されるまでもなく、こんなことは本能的に知っていたのだと思う。脂肪の塊が敵を逃れる旅に備えて用意したバスケットの中には、「鳥の肝(きも)のパテだの、雲雀(ひばり)のパテだの、牛の舌の燻製(くんせい)だの、クラサヌの梨だの、ポン・レベックの薬味入りのパンだの、菓子パンだの、それから酢漬けの小さな胡瓜(きゅうり)や玉葱の一ぱい入った小鉢だの」(水野亮訳)が入っていた。これに続く「ブール・ド・シュイフはあらゆる女と同様、生の野菜が好きなのである」という自信ありげな解説は、美男子で女性によくもてたといわれるモーパッサンらしい一文だと思う。(さ)