『三銃士』には、銃士たちが集まってにぎやかな宴会をする場面がたくさん出てくるけれど、彼らの食生活にはかなりむらがあった。手柄をたてて報酬を得ても「宵越しの金は持たない」とばかりにすぐに使ってしまう。ひもじい思いをすることも多かった。ガスコーニュ地方出身の若き主人公、ダルタニャンの従者であるプランシェもそのとばっちりにあう。未来の主人と出会った日こそ「こういう福の神の側に来た幸運をむしろ神に感謝した。こんな気持は宴会の終わりまでつづいて、お残りで永らく痩せていた胃袋を十二分にたんのうさせることができた」と幸せな気持ちにひたるけれど、そんな夢心地は長続きしなかった。この主人に仕え始めてから間もない頃のこと、「プランシェが飯を食いたいと主人に言いに来ると、主人は《Qui dort dîne》(眠る者は食事する。ひもじい時は眠るべしの意)という諺を引いて返事した。で、つまり、プランシェは眠ることで、食事していたのであった」(生島遼一訳)。この小説の舞台である17世紀のフランスは、まだまだ貧しかった。
デュマの生涯について聞きかじったことのある者なら、浮き沈みの激しい銃士の生活を、作家自身の生活と重ね合わせるかもしれない。そう、流行作家として名をはせたデュマも、収入を手にするとそれをすぐに使ってしまった。自分が食べるよりも人に食べさせるのが好きだったから、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』で得た莫大な印税の大部分は、パリ郊外での宴会費に消えていった。よく目にする作家の肖像画には恰幅(かっぷく)が良い姿が描かれているけれど、若いときはスラリとやせた美青年だったデュマ。作家として駆け出しの時は、プランシェのようにひもじい思いをしたことも多かったはず。執筆中の毎日の食卓には、小麦粉ベースのおかゆやポトフなど、ごくシンプルなものがのぼったという。(さ)