“Here” de Bas Devos
多様なルーツを持つ人々が交差する街ブリュッセル。移民労者者のルーマニア人シュテファンは、もうすぐ一時帰国をする予定だ。出発前には食べきれずに残った冷蔵庫の野菜を、スープにして友人らに配り歩く。そんな折、苔の研究をする中国系ベルギー人シュシュと知り合いに。二人は新緑に輝く初夏の森で、ルーペ片手に苔の観察をするだろう。些細に見えるが、この世で最も尊い瞬間に目を開かせるようなドラマ『Here』。すでに日本で劇場公開され、熱心なファンを獲得。ようやくフランスで公開となった本作について、パリ滞在中のベルギー人バス・ドゥヴォス監督に、作品への思いを伺った。(聞き手 : 林瑞絵)
★ 作品上映館、時間などはこちらのサイトから。
—–『Here』は前作『ゴースト・トロピック』と一緒に、今年2月から日本で劇場公開され、口コミで評判となりました。
とても面白いね。映画のコメントなどが書けるサイト Filmarks では、この2作が初日満足度ランキングの1位と2位を獲得したと聞きました。日本ではプロモーション時に東京と沖縄に滞在しましたが、他の国では感じることができないような、作品に対する丁寧な心遣いを感じました。
—– 作品への反応はいかがでしたか。
哲学的な質問が多かったです。私はタオイストではないですが、私のもともとの(無為自然を説く)タオイズム的なスピリチュアリティの感覚が、日本人には響くのかもしれません。私は日本人の魂を持っていて、前世に日本人だった可能性がありますよ。(笑)
—–監督はブリュッセル在住で、過去4作は全てブリュッセル撮影です。
普段から自分が知っていて、実際に好きな人々や場所を撮影したいのです。たとえまだ頭に確固たる物語がなくても、「この道や店をいつか撮りたい」と感じて、(映画制作が)始まることが多い。それは自分にとって本質的なことです。シュテファン(役名もシュテファン)はもともと友人で、彼の存在こそが映画の起点でした。シュシュ役のリヨは映画の編集者(ワン・ビン監督の『青春』などを担当)ですが、共通の友達が多く、みなに聞いても「彼女がいい」と言われました。私は中国人コミュニティをよく知らなかったので、リヨがシュシュというキャラクターの構築を助けてくれました。
—–これは移民たちのドラマです。ルーマニアから来たシュテファンは、ブリュッセルの自宅で「C’est chez moi
これが我が家だ」と呟きますが、「私はブリュッセル市民の一員だ」という意識からでしょうか。
わかりません(笑)。ルーマニア移民の中には、ブリュッセルの生活がたとえ心地よくても、故郷との繋がりが強い人も多いでしょう。もしかしたら「C’est chez moi」とは、今はこの街で暮らすことにしているのだと、自分自身にあらためて言い聞かせているのかもしれません。でも、シュテファン自身も、言葉の意味を意識しているとは限りません。はっきりと意味がわからず発せられる言葉も、美しいと思います。
—–「言い聞かせる」というのは、在仏日本人の自分にもわかる感覚です。さて、最近は欧州では選挙が続き、争点の移民についてネガティブな言説も見られます。 なかには人間味を感じられないことも。あなたの映画を見ていると、人間らしさを取り戻せるような感覚があります。友人の顔を触わるなどの素朴な触れ合いの行為も、興味深いこととして立ち上がります。
私の周囲には憎しみより、愛情の方が多くあります。人生には連帯や共生があり、互いを尊重しながら話し合って生きているのでは。それは政治の文脈などでは語られにくいけれど、私たちがよく知る大事な物語でもあります。さりげない優しさや親密さ、誰かの体に触れるといった小さな愛情の形を映画で示すのは、自分にとっては自然だし、重要なことでした。
—–いわゆる「自然」も大事なモチーフです。苔の研究家のシュシュは、苔を「生命力に溢れた小さな森」と表現しています。あなたは苔の何に魅了されますか。
全ては「注意を払う」ということから始まっています。苔はとても小さく控えめな存在ですから、まずは気が付いて立ち止まり、しゃがまないといけません。その美を観察するにはルーペも必要です。他の動植物に比べ、近づく努力が必要ですね。しかし、必然的に距離が近くなるので、親密な関係にもなります。そして一度認識すれば、その後は、その存在に気付かずにはいられなくなる。突然、その苔の多様な存在の有り様に驚かされるほどです。
—–『Here』は映画では珍しい画面比率が5:4のサイズ。前作の『ゴースト・トロピック』は映画のスタンダードサイズで4:3でした。いずれにしても通常の映画より横幅が狭いサイズですね。
(映画の中の)人々を互いに近づけ、より親密にさせるサイズなのです。また、画面横に余白が生まれますが、それは想像力を掻き立てるものになるでしょう。具体的な意味に溢れたイメージのない空間は、車や鳥などの音にも助けられ、私たちを想像の旅へと連れ出します。