かつて独立国だったフランス北西部ブルターニュ地方の出身者は、いつの時代もその独自の文化とアイデンティティーを大切にする傾向が強い。ブレッツカフェの創業者、ベルトラン・ラーシェさんもその一人だ。この土地の名物、そば粉のクレープ « ガレット»を提供する料理店を東京に開いてから四半世紀。今や多数の事業を展開する「実業家」のイメージが強いが、ラーシェさんを突き動かすのはいつも故郷への想いだ。
パリ6区の繁華街、オデオン地区のクレープリー(クレープ料理店)ブレッツカフェには、週に一度、オーナーのベルトラン・ラーシェさんがやってくる。現在ブルターニュの港町サン・マロに暮らす彼がこの店に足を運ぶのは、経営業務はもちろん、長年共にガレットの味を守るシェフ渡部祐士さんを始めとした自社のスタッフたちと家族のような小さなメゾンのエスプリを共有するためでもある。テラスに出ると、通りがかりの老夫婦が足を止めて嬉しそうに彼に話しかける。常連客も「家族」だ。
まるで一昔前の映画に出てくるカフェのような光景だが、オデオン店がオープンしたのは5年前。この店は、1996年に東京・神楽坂で日本初のクレープリーを創業して以来、これまでラーシェさんが日仏で手がけたブルターニュの食を軸とする計22の飲食施設のひとつ。並行してクレープ職人養成学校の開校や、広大な農場でソバやリンゴの有機栽培に着手するなど、ラーシェさんの事業は、故郷の食文化の伝道から、地方の未来を見据えた産業に移行しようとしている。この秋に(昨年コロナ禍で開催できなかった)盛大な創業25周年記念イベントを予定しているラーシェさんに、これまでと、そしてこれからの話を聞いた。
ブルターニュに始まる夢
ブルターニュ半島の内陸部、フジェールに「貧しい農家の息子として生まれた」というラーシェさんは、そば粉やバター、リンゴ、新鮮な魚介類等に恵まれた土地に育ち、幼少期からとにかく食べることが大好きだった。やがて彼は、食に関わる仕事に関心を持ち、16歳のときに国からの奨学金を得て、サン・マロに近いディナール国立ホテル学校に入学。ここで初めてブルトン料理とは異なる本格的なフランスのガストロノミーに触れた。卒業後に地元を離れたのも、この土地柄だと言う。「見慣れた海の対岸はイギリス、西を向けばその向こうにあるのはアメリカ。だから、ブルターニュに暮らす若者は、自然とアメリカンドリームみたいなものを抱いて国外に出るケースが多いんですよ」。当時、ラーシェさんがアメリカを夢見ながら「修行」に向かった先はスイスの国際都市、ジュネーブだった。
スイス、そして突然の日本
ジュネーブの高級ホテルでがむしゃらに働いて8年、マネージングのノウハウも身につけ、幹部にまで昇格した頃、生涯の伴侶となるゆう子さんと出会ったラーシェさんは、キャリアを手放して、彼女と共に東京に移住した。日本ではガレットどころか、「ブルターニュ」という地名さえ知られていなかった1995年のことだ。ラーシェさんが故郷を意識し始めたのはこの時期。原宿スタイルのクレープが日本にすっかり定着していた中で、ラーシェさんは「本場の味」を伝えるべく、東京にクレープリーの創業を決心。国内各地のそばを試食し、日本の繊細なそば粉の風味を生かしたガレットを開発。1年後、ラーシェさんが惚れ込んだ石畳の街、神楽坂にオープンした第一号店「ル・ブルターニュ」が満席になるのに時間はかからなかった。ガレットを食べるときに欠かせないリンゴの発泡酒、シードルはフランスから輸入。3年後には、日本初のブルターニュ産シードルの卸業も開始した。
パリ、そしてブルターニュへの回帰
日本での成功を経て、2002年に出身地フジェールに伝統的なクレープリーをオープン。それから3年後には、ブルターニュの海辺の街カンカルに自国初となるブレッツカフェを開店。「東京から逆輸入されたガレット」は、伝統の味への忠実さと、どこか日本っぽさを感じるその盛り付けや、ピンポイントな日本食材の使い方など、バランスの優れたハイブリッド感で評判を呼び、郷土料理に新しい光を差し込んだ。そして驚くことに、バターやクリームが「重くない」。多くの人のガレットの常識が覆されるエレガントな風味は、使用するすべての原料の質に妥協していない結果だ。「新しいことをやっているのではなく、原点回帰」と言明するラーシェさんは、ブルターニュの先人がそうしていたように、その土地でとれた食材や無農薬の素材を使って丁寧な調理をすることで、ブレッツカフェの支持者を増やした。
今、未来を創る
ブレッツカフェのその後の躍進は誰もが知るところだ。現在、日本では神楽坂に続き、表参道、新宿、京都そして博多に店舗を構え、さらに長野県南箕輪村が運営する施設との技術提携も実施。パリの9店舗はいずれもマレ、モンマルトルなど人気地区の「パリらしい風景」の一角をなしている。
一方、一般的にガレットの焼き手「クレーピエ」には各地で季節雇用やダブルワークを強いられるケースも多く、技術向上に加えて職人としての地位向上がラーシェさんの課題でもあった。2018年、彼がサン・マロの海外沿いに創設したクレーピエの養成学校「アトリエ ドゥ ラ クレープ」では、国内外から集まる生徒が仏国家認定ディプロムを取得できるカリキュラムスタートさせた。「これまでに、日本からきた2人の日本人が資格を得たよ」と、ラーシェさんは嬉しそうに語る。
農場を所有しているのは、サン・マロとカンカルの間にある人口2800人強のサン・クロン村だ。いずれは、この12ヘクタールの大地に育つ果実やソバで、ブレッツカフェ全店で使うそば粉やシードルの原料を作れるようにしたい。ラーシェさんの会社は他に、海に面した民宿兼日本料理店(カンカル)や居酒屋(サン・マロ)の経営もしている。また今後は、同じサン・マロにて、地元の漁師さんによって活け締めを施された新鮮な魚を提供する寿司屋もオープン予定。目下、共に未来を紡ぐ寿司職人を募集中だ。筆者も記事を書きながら、オーセンチックなガレットと寿司を堪能できるサン・マロに改めてグルメ旅行に行きたくなった。まさにフードツーリズムの実例だ。
地方の食文化を広めて経済活動を行い、伝統技術の保存と伝承にもつながる人材育成から雇用拡大、有機栽培や自社農園を営むラーシェさんの一連の取り組みは、世間がやっと意識し始めたサスティナブルな社会作りそのものだ。「私はクルーザーに乗って休暇を過ごすよりも、畑で土に触れているほうが自分らしくいられる。先日はクボタのトラクターを買ったよ」と、笑いながらも誇らしげに話すラーシェさん。彼のビジネスの成功は、経験で得た経営センスと食に対する誠実な姿勢に違いない。
★25周年記念イベント
フランス:9月17日(土)
サン・クロンブの農場にて、ガレットとシードルをふるまうソバの収穫祭を開催。
日本:10月16日(日)
東京・神楽坂の赤城神社境内にて、ガレット、シードルに加え、ケルト音楽など、伝統的なブルターニュを体験できる催し物。
『ブレッツカフェ ブルターニュの食材をめぐる60のレシピ』
BREIZH CAFE. 60 recettes autour des produits du terroir breton
ベルトラン・ラーシェ著 La Martinière 出版 25 €(税込)
ブレッツカフェ公式サイト
日本語 www.le-bretagne.com/
フランス語 www.breizhcafe.com/