400年前の1月15日、ジャン=バティスト・ポクランはパリのサントゥスタッシュ教会で洗礼を受けた。後にモリエールと名乗り、俳優・劇作家・演出家・劇団長としてフランス古典喜劇を確立した奇才の誕生である。18世紀以降、フランス語が「モリエールの言語」と呼ばれるようになるほど、この喜劇作家がこの国に与えた影響は大きい。
1658年、12年間の地方巡業を終えたモリエールの劇団は、ルイ14世の弟フィリップ1世(オルレアン公)の庇護をとりつけ、パリに居を構える。新作を次々と発表して注目され、1665年からは王立の劇団となったが、痛烈な諷刺は時には論争を引き起こし、『タルチュフ』はルイ14世に上演を禁止された。1673年、『病は気から』の舞台直後に51歳で亡くなるまで95の戯曲を創作し、上演数は2421回におよんだモリエールの一生は、まさに演劇に捧げられていた。彼の死後、パリのもう一つの王立劇団と合体したコメディー・フランセーズが 1680年、国王の命により創立される。
生誕400年に際し、「モリエールの家」と呼ばれるコメディー・フランセーズや、作曲家リュリらと共作したコメディ・バレエ(音楽とバレエのスペクタクル)が演じられたヴェルサイユ宮殿では多くの作品が上演され、「国民的作家」が讃えられる。(飛)
「国民的作家」モリエールはなぜ面白いのか。
17世紀の作家の喜劇が21世紀まで、あちこちの劇場で頻繁に上演され続け、今日に生きる観客を笑わせる。
日常会話で 「彼ってタルチュフだね」と偽善的な人が比喩される。
モリエールは 「古典」でありながら、現代にも生きているのだ。
それはなぜなのか、この機会にモリエールの魅力に触れてみよう。
文 : 飛幡祐規
モリエールが活躍した17世紀半ばすぎのフランスでは、ルイ14世が絶対王政と中央集権を強化し、重商主義によって商工業が発達した。ヨーロッパ諸国と戦争が繰り返される一方、「太陽王」は文芸を好み援護したため、学問や諸芸術が開花した。モリエールの少し前にコルネイユ、同時代人には寓話で有名なラ・フォンテーヌ、思想家パスカル、次の世代では初の近代心理小説を書いたラ・ファイエット夫人、悲劇作家ラシーヌがいる。
ラ・フォンテーヌ、コルネイユ、ラシーヌなどと並んで、フランスの学校では国語の授業で必ずモリエールの戯曲を学ぶ。だからこの 「古典」を誰もが読んだ経験があり、クラスみんなで観劇に行ったかもしれない。1882年に無償の義務教育を法制化した第三共和政以来、国語の精髄とみなされる古典主義文学はカリキュラムに取り入れられるようになった。
しかし、古典といっても優等生的な言語ではない、喜劇作家モリエールがフランス語の代名詞になったのは興味深い。滑稽な場面と社会諷刺にあふれたモリエールの喜劇は当時、王侯貴族、ブルジョワから庶民まで幅広い観客にうけたが、すぐに国外でも人気を博して名声を得た。モリエールは現代に至るまで世界各地の演出家を惹きつけ、観客を楽しませる巧みな劇作法と、さまざまな階層の登場人物が発する多様で生き生きとした言語(韻文、散文、方言)の喜劇を生み出したのだ。
最初の伴侶、優れた俳優のマドレーヌ・ベジャールと共に劇団を立ち上げたモリエールは、悲劇も演じた。だが初めから成功を呼んだのは、コメディア・デッラルテ(イタリアの即興喜劇)に影響を受けた笑劇だった。モリエールは滑稽さ(コミック)の表現を探求して深めた。類型的なキャラクターを脱して登場人物に個性と複雑さを加え、道徳的な諷刺ではなく、人間の心理・葛藤を鋭く描いた独自の喜劇(コメディ)を創出したのだ。
モリエールは笑いを通して、虚栄心や偽善を批判する。『タルチュフ、あるいは偽善者 Le Tartuffe ou l’Hypocrite』の宮廷での初演後に公演が禁止されたのは、「信心家ぶる人」を笑いものにしたことがカトリック教会勢力の強い反発を招いたからだ。モリエールはむろん宗教を諷刺したのだが、上演許可を得るために、タルチュフの「ペテン師」の要素と金銭欲・肉欲を強調して書き直し、題名も『タルチュフ、あるいはペテン師 Le Tartuffe ou l’Imposteur』と改めた。しかし、騙されて良心を宗教に委ねようとする登場人物の愚かさも、諷刺の対象だと解釈できる。
『女房学校 L’École des femmes』や『守銭奴 L’Avare』など多くの演目では、権力・財力と家父長制を武器に、年老いた男性との結婚を若い女性に強いるシチュエーションが設定されている。それは単なる社会諷刺・批判にとどまらず、恋愛感情、親子の関係、強迫観念、盲信、ナルシシズムといった人間の心理を巧妙に描写している。この深みのある人間観察と普遍的なテーマゆえに、モリエールの喜劇は今も人の心に響くのだろう。誰もが、スノッブで中身が空っぽな俗物や、自尊心過剰の人物を身近に思い描けるはずだ。『病は気から Le Malade imaginaire』などに込められた医者と医学への諷刺や、『人間嫌い Le Misanthrope』の心理描写もまさに、現代社会に通じる問いかけである。
モリエールの椅子
1673年2月10日、パレ・ロワイヤルの劇場で『病は気から』の初演が行われた際、モリエールが座っていたのがこの椅子だ。その一週間後、モリエールはこの椅子に座って主人公アルガンを演じていたが最終幕で喀血、数時間後に息を引き取った。その後も舞台で使われ、また、この椅子に座れるのは劇団の最高の俳優であることを意味する象徴的なものとなり、今でもコメディー・フランセーズ劇場内にガラスケースに入っているのを見ることができる。毎年1月15日は、この椅子がコメディー・フランセーズ前の広場に展示される。
モリエール独自の上演形式 「コメディ・バレエ」。
モリエールの喜劇では、結婚 ・家父長制、宗教、貴族、金銭欲などが社会諷刺・批判の素材になっているが、当時としてはかなりの言論の自由を彼が享受できたのは、ルイ14世の庇護のおかげである。モリエールは1663年以降、文芸人として国王から毎年手当を受けた。『タルチュフ』と『ドン・ジュアンDom Juan ou le Festin de Pierre』に対する攻撃が高まった1665年6月、ルイ14世はモリエールの劇団を「王の劇団」にする。以後、王の手当を受給する劇団は、興行成績が悪い時でも活動を維持できたのである。
モリエールは1661年にルイ14世の大蔵卿フーケから、初めて宮廷用のスペクタクルを受注した。バレエ好きなルイ14世のために、モリエールは作曲家リュリや振付師、舞台装置家と組み、コメディ・バレエ『はた迷惑な人たちLes Fâcheux』を創作する(ヴォー・ル・ヴィコント城で初演)。
以後、コメディ・バレエの新作は整備中のヴェルサイユ宮殿での豪華な祝祭などで披露された。それらは後にパリのパレ・ロワイヤル劇場で再演されて、一般の人気も博した。モリエールは作曲家シャルパンティエとも組んで10作ほどこのジャンルの作品を創作したが、彼の死後はオペラにバレエを取り入れた形態がしばらく残ったのみで、バレエとオペラは分離する。
400周年の今年は、『ジョルジュ・ダンダン、あるいはやり込められた夫 George Dandin ou le Mari con-
fondu』や『町人貴族 Le Bourgeois gentilhomme』も上演される。宮廷とその招待客を楽しませる目的で書かれた作品では、美しい音楽・バレエと演劇が織りなす対話、華やかな衣装(クリスチャン・ラクロワ)や舞台装置が日常からの逸脱を誘う。しかし、最後のコメディ・バレエで白鳥の歌である『病は気から』では、モリエールは「死」も笑って生涯を閉じた。
※ヴェルサイユ宮殿内オペラ・ロワイヤルでは、『病は気から』(4/13-17)、『町人貴族』(6/9-19)を上演。
www.chateauversailles-spectacles.fr
38€~140€。
モリエールを堪能しよう。
コメディー・フランセーズ(CF)
「モリエールの家」ことCFは、1/15から7/25にかけてモリエール10作品、関連作品を上演。
www.comedie-francaise.fr
金欠と若者の味方!「Petit Bureau」
CFの観たい演目がサイトで「満席」と表示されていても、CFは公演の度に一定数の天井桟敷席と空席の当日券を5€で販売(舞台は少し見える程度)。開演1時間前から「Petit Bureau」の窓口で販売が始まるので、2時間前くらいから並べば買えることが多い (列は屋外なので防寒を)。
また、同窓口では毎週月曜、28歳未満に95席が無料で提供される。予約不要。1時間前に身分証明書提示が必要。1人1席のみ。
映画館でCFから中継観劇。
1/15『タルチュフ』、4/12『守銭奴』、6/9 『町人貴族』。
要予約。詳細は:www.pathelive.com/programme/comedie-francaise-21-22
● 『守銭奴 L’Avare』。
人気俳優ミシェル・ブジュナが主人公アルパゴンを演じる。水〜日。
Théâtre des Variétés :
7 Bd Montmartre 2e
M°Richelieu-Drouot
Tél : 01.4233.0992
● 特別テレビ番組
“Le Grand Echiquier” (France3局)1/21(金)21h10-
モリエールを演じる名優たち、音楽家らが400周年を祝う特番。
France3 リプレイ
歴史番組”Secrets d’histoire”のモリエール特番が3/11まで視聴可。