フランスには3千ほど鉄道の駅があるという。多くの人が南の海へ、冬は雪山へと出発するパリのリヨン駅には、どこかバカンスの香りが漂っていて、曇っている日でもそこだけ明るいような気がする。昨今フランスの他の駅では見かけなくなった駅舎内のきちんとしたレストランも健在なリヨン駅は、パリに住む者にとっては愛着のある駅だ。北駅も負けていない。ファサードに並ぶ、北の町を象徴する23美女の彫像は壮麗で、メトロで地下を通過するのはもったいない、毎回下車して眺めたいくらいの代物だ。
フランス国鉄が2017年からフェイスブック上で開催している「フランスの最も美しい駅」投票の結果が、1月20日に発表された。地方予選をクリアした32駅がトーナメントで対決するもので、予選から決勝まで3ヵ月間続いた。投票したのは30万人の一般市民。対決する2駅のうち、好きなほうに票を入れる。決勝では15万人が投票した。驚いたことにコンクール3回目の今回も、1、2回目と同じ駅が「フランスで最も美しい駅」に選ばれた。次ページでは、ナンバーワンの名駅と、ベスト4までをご紹介。建てられた地方、時代、建築様式も、規模も様々な鉄道の駅。また自由に旅ができるようになったら見に行こうと考え始めたら、気持ちが明るくなってきた。(編)
« Battle de gares » La plus belle gare de France
Metz駅
3連覇。ドイツ帝国の圧倒的な力誇示。
3回連続でトップに輝いたメッス駅は、ポンピドゥ・センター分館、国内有数の歴史を誇る劇場、ステンドグラスで名高い大聖堂など、文化度の高いロレーヌ地方の主要都市メッスの入口にふさわしい。駅のホールはステンドグラスを多用した大聖堂のような空間だ。かつてレストランがあった場所は、2017年、ロレーヌ出身の最優秀職人章を持つミシェル・ロス氏の郷土料理店に生まれ変わった。暖かくなればテラス席も設けられるから、再開が待ちどおしい。
この荘厳な駅舎の竣工は1905年、施工主はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(在位:1888-1918)。1871年普仏戦争でフランスに勝ったプロシアは鉄鉱石や石炭を産するこの地域を併合し、ベルリン=メッス間805kmを鉄道で結んだ。当時、新しい建設技術だった鉄筋コンクリートの杭3千本で地盤を固め、1日に2万5千人の兵士、7万5千の大砲や馬などを敵国フランスに送り込めるような全長300メートル以上の駅舎を建てた(今でもフランス最長の駅)。
皇帝がメッスに来る時は〈皇帝列車〉が専用ホームに停車し、そこから直接皇帝のアパルトマンに行けるようになっていた。1番ホームには今もその重厚な木の扉があり、そこから入って大理石の階段(写真上)を登れば大きなステンドグラスがある皇帝の広間だ。皇帝の館が併設されたデラックス駅舎だが、彼がメッス駅を訪れたのは7回ほどだという。この皇帝館の部分は文化財の日などに開放される。
駅のホームの一部は低くなっている。皇帝の片腕は麻痺していて一人では馬に乗れなかったので乗りやすくしたとか、負傷兵運搬のためとか、貨物運搬を容易にするためなど諸説ある。エレベーターは当時から設置されていた。またこの駅ではTGVを除く電車は右側通行(フランスは左側通行)。1871年から1918年まで続いた1回目のドイツ統治からフランスに戻る際、ほぼ50年間で形成されたドイツ文化・慣習・進んだ社会保障などを維持する法律が制定され、残されたものの一例だという。フランス側にも路線を敷き替える予算などなかったようだ。
かつてドイツ帝国が軍事拠点として建てた駅舎がフランスの一番人気というのも驚きだが、見方を変えれば逆に、独仏間が平和な印なのかもしれない。メッスの町は、ドイツ帝国の繁栄を語る建築物が遺る「インペリアル地区」と、フランス国王ルイ15世が築いた「ロワイヤル地区」という、独仏の文化遺産が共存する町として、ユネスコ世界遺産への登録が期待されている。
美しい駅バトル・対戦表
Saint-Brieuc 駅
世界じゅうのブルターニュ人が応援!
このコンクールに初出場し、7万7千票を集めたものの、235票の僅差でメッス駅に敗れたサン・ブリユー駅。職員が駅の利用者に直接投票を呼びかけたり、フェイスブックのアカウントを立ち上げ駅の魅力をアピールするのはもちろん、世界に散らばるブルターニュ人コミュニティーにも呼びかけ愛郷票を集めるなど地道なキャンペーンを行った。
勝ち進むにつれて応援は盛り上がり、準決勝でリモージュ駅との対決が決まると、駅構内でサン・ブリユー、リモージュ対抗のヒップホップ・バトルを開催。メッス駅との決勝の日は、早朝から3時間にわたる駅構内でのラジオ中継にエルヴェ・ギアール市長もゲスト出演。投票終了ギリギリまで応援を続けた。
結果発表の日は、予定していたブルターニュ地方の音楽の演奏は雨で中止となり投票結果も次席となったが、市長は再び駅に赴いてサン・ブリユー駅の健闘を讃えた。「皆さんの奮闘、これこそが真の勝利です!」と語り、フランス全国・世界のブルターニュ人、ブルターニュを愛し投票した7万7千人に向けて「ありがとう、サン・ブリユー駅はフランスの〈ほぼ〉最も美しい駅!#PresquePlusBelleGare2020」のメッセージを掲げて記念撮影。デルフィーヌ・ルスアルヌ駅長も、「これで終わりではありません、来年も挑戦します!」と頂点を極める意欲を示し駅前に集まった市民や駅員チームと盃を交わした。今回のハイスコアは、駅そのものの美しさもさることながら、人海戦術的な応援態勢にあった。建築美や移動の効率性だけでなく、人が集まりエネルギーを共有できる場であることも「いい駅」の要素であることを感じさせた。
パリ=ブレスト間を結ぶ路線上の同駅は西部鉄道会社によって1863年に使われ始めたが、アーチ型の大きなアール・デコ調ガラス窓の現駅舎は1931年に竣工。ルネ・クレマンはここで戦後すぐの1945年に『鉄路の闘い La bataille du rail』を撮影し、第二次大戦中ドイツ占領下のフランスで鉄道員たちが展開するレジスタンスを描き、第一回カンヌ映画祭で国際審査員賞、監督賞を受賞した。独軍兵站(へいたん)の要である鉄道をサボタージュする鉄道員たちの果敢さを讃えた作品には、実際にレジスタンスに身を投じた鉄道員らが出演した。
Limoges 駅
名駅ランキング常連。シャネル香水CMロケ地にも。
リモージュといえば磁器、そしてこの駅。名駅ランキングにはよく登場するこの駅に、米ヴァニティー・フェア誌、ルモンド紙はN°1の座を与えている。オードレイ・トトゥが出演する「シャネル N°5」の香水のCMの舞台にもなった。冒頭に外観、そして最後の、夜行列車内で出会った男女が旅の終わりに再会するシーンがステンドグラスのあるこの駅のホール。「灯台」の愛称で呼ばれる時計塔は高さ67mある。1929年の竣工当時は「モスクとミナレットのよう」などの批判もあったが、1975年に歴史的建造物に指定された。
Valenciennes 駅
二度の爆撃後も復活、北国の美しい駅。
トヨタの自動車工場があるバランシエンヌの駅は、1842年に開設された。フランス北部鉄道会社の路線で一番古い駅だ。当初は木造、1909年にはクレマン・リニーの設計で石造りの駅舎が竣工。リニーはこの地方のサントメール駅なども設計している。二度の大戦では爆撃を受け、第二次では車庫にあった列車もほぼ全滅したが、最初のリニーの設計通りに再建された。ベルギーとの国境まで10kmもないこの駅は現在では年間300万人が利用する。同じオ・ド・フランス地域圏ではリール=フランドル駅も人気で、ヴァランシエンヌは一度負けたが対戦運がよく、同等で3位に復活した。