ガスパー・ノエの『独り対全て/Seul contre Tous』は、本当に凄い映画で、何から書いていいのか分からないし、上手に作品の価値を伝えなくてはという使命感もあり緊張します。この監督は『カルネ』という中編が日本でやたらにもてはやされ、『カルネ』をそこまで評価できなかった(吉)は釈然としないものを感じていたのですが、いやはや今度の『独り対全て』には完全に脱帽です。
アンチヒーローとは、まさにこの映画の主人公の”肉屋”のこと。社会一般的な”モラル”とか”正義”からいったら、こいつは人間の風上にもおけない奴。しかし”モラル”とか”正義”というのが、社会が円滑に機能するように支配階級が人類を洗脳するための規範だとしたら…? 虚飾や我慢や恰好づけを剥いで人間が裸になったときに残されるものは何か?
『独り対全て』はストーリー的には『カルネ』の続編。娘を溺愛する父親が、彼女が強姦されたと思い込み、犯人と思わしき男を刺して投獄された…ここまでが『カルネ』…その後の話が『独り対全て』で描かれる。身寄りもなく無一文になって出所して来た男が生き延びるために何を受け入れ何を拒絶し、社会との折り合いの中でいかにどん底まで落ちて行ったか…。そして男に唯一残された心の砦は、娘に対する近親相姦的な匂いのする危険な愛だった。機関銃のように放たれ、映画の全編を覆ってきた男の独白は「Je t’aime. Un point c’est tout」という一言で終止符を打つ。ゾクッとする。なんか神々しいものがあるのだ。こんな男のこんな感情に同調してしまっている自分…。
16mm・スコープの退色したようなカラー画面がスタイリッシュだが、何よりも、その在り方においてこの映画は突出している。危険を覚悟で必見!(吉)