ヴィシー、光と陰。
ヴィシーで見逃してはならないのがオペラ劇場。温泉郷としてヴィシーの人気が高まるにつれ、カジノ内の劇場では小さすぎたため新たに造られた。フランス唯一のアール・ヌーヴォー様式のオペラ劇場は、黄色とゴールドを基調にしている。劇場としては珍しい色調だが、これはご婦人方のアクセサリーや肌が映えるように選ばれた色だという。1901年、未完成の劇場のこけら落としはヴェルディのオペラ『アイーダ』で、竣工はその2年後。それ以降ヴィシーは、夏の湯治シーズン中フランスの音楽の都となった。
時は下って、第二次世界大戦。フランスはドイツに降伏し、大西洋岸と北ほぼ半分はドイツの占領下におかれ、南半分は 「自由地域」となり、ヴィシーにはペタン元帥が率いる臨時政府 「ヴィシー政権」が置かれた。かつてナポレオン3世が鉄道、通信機器ほかインフラを整えホテルも多かったために首府として選ばれたのだが、この劇場も議場となり、共和制を廃止しペタン元帥に全権力を委ねる決議が採られた。その後ペタンの対独協力政治は自由地域で6500人のユダヤ人を捉えてドイツ軍に引き渡した。