Musée de Dieppe – Fonds Saint-Saëns
生後3ヵ月で父親をなくしたカミーユ・サン=サーンスは、母親と、やはり夫を亡くしたばかりの大叔母に育てられた。サン=サーンス自身は40歳で結婚、子どもふたりをもうけたが幼くして亡くなり、妻とは別居。1888年に最愛の母親が亡くなると、パリのアパルトマンを引き払って、家具、家族に関するもの、楽譜、蔵書、1万4千通もの手紙などを、父親の出身地であるディエップ市に寄贈した。
父方のいとこを通じて知り合った町の美術館の学芸員の提案で、ディエップのカジノ内にサン=サーンス博物館を創設することになったのだ(1890年に開館)。サン=サーンスは定住所をもたずに、ほぼ15年間、療養も兼ねて暖かい国への旅を続けながら音楽活動を続けたが、旅先からは同館の考古学部門のために、定期的にミイラなどを買っては送った。今も博物館には、サン=サーンスが寄贈した壺、鳥や猫のミイラなどが陳列されている。
ディエップ博物館で開催中のサン=サーンス回顧展では、内務省の役人だった父親が書いた歌詞つきの楽譜や、画家だった母親の絵、カミーユ少年の画帳、詩を書きとめた手帳なども展示されている。幼いサン=サーンスにピアノを教え、才能を開花させた大叔母の手による美しい刺繍などを見ていると、家庭で感受性をゆっくりと育ててもらったんだな、と想えてくる。音楽そのものより、私生活に焦点をあてた展覧会だ。
サン=サーンスは普仏戦争後1871年に、フランス音楽復興のため、「国民音楽協会」を設立。若い作曲家たちに演奏の機会を与えた。旅先ではフランス音楽を紹介する大使のような役割も担い、訪問国から勲章を贈られることも多かったが、この勲章の類は収蔵庫に 「何箱もある」と学芸員のジョヴァノヴィックさん。
サンサーンスがディエップを最後に訪れたのは1921年8月のこと。8月6日、カジノ劇場で行われたコンサートの演目は、 交響曲第2番、『ノアの洪水』『オーヴェルニュ狂詩曲』ほか自作の6曲、ラモーとモーツァルト。演奏後に、「75年前、この舞台で初めて人前でピアノを弾きました。今日は最後の演奏です」と挨拶をし、75年間の演奏家活動の幕を閉じた。その後ディエップから、南仏でのオペラのリハーサルなどを監督した後アルジェリアに赴き、12月に亡くなった。(六)
INFORMATIONS
” Camille Saint-Saëns, Paris – Dieppe – Alger” 展(2022年1月2日まで)
Musée de Dieppe (Château) :
Rue de Chastes 76200 Dieppe
月火休、6月〜9月は10h-18h、10月〜5月は10h-12h/14h-17h。5€/3€。
パリのサン・ラザール駅からディエップはルーアン乗換えで2時間20分ほど。
駅からは博物館までは歩いて15分から20分ほど。
◎ディエップ博物館 Musée de Dieppe
町を見下ろす博物館が入っている城は、イギリスからの攻撃に備えて14世紀に建てられた城塞。17世紀まで北フランス最大の交易港だったディエップには、16世紀にはアフリカから象牙がもたらされ象牙細工の中心地となった。その歴史から同館は2500点の象牙細工を収蔵している。繁栄の頂点にあったディエップの町を1694年、英・蘭の艦隊が砲撃。町は焦土と化し衰退した。
のちに、ルノワール、ピサロなど印象派の画家たちがディエップの風景を描きにやってきたり、ジョルジュ・ブラックが近くにアトリエを買って活動したため、それらの作品もディエップ博物館の大切なコレクションだ。ディエップが再び繁栄するのは、イギリスで起こった海水浴ブームがフランスにも飛び火し、フランス初の海水浴場となり一世を風靡してからのことだ。