19世紀パリ、《エリート画家》の華麗なる住居兼アトリエへ。

Musée Jean-Jacques Henner
ジャン=ジャック・エネール 美術館

やわらかな自然光が入る北向きの大窓と吹き抜けが開放的な「Salon Rouge」。 かつて寝室として利用され、オリエンタルな窓格子があるロフトは浴室だった。

やわらかな自然光が入る北向きの大窓と吹き抜けが開放的な「Salon Rouge」。
かつて寝室として利用され、オリエンタルな窓格子があるロフトは浴室だった。

パリでアーティストに縁深いカルティエといえば、やはり18区のモンマルトル。19世紀後半、美術界の前衛だったセザンヌやルノワールなど印象派の画家たちが集っていた様子を思い浮かべるだろう。一方、あまり知られていないが、時を同じくしてモンマルトルのすぐ西隣、17区のプレーヌ・モンソーもまた、当時パリの画壇の中心にいた保守派・アカデミズムの画家たちで大いに盛り上がっていた。
 モンマルトルの画家たちが小さなカフェを溜まり場としていたのとは対照的に、プレーヌ・モンソーの画家たちは建物一棟を丸々改装した豪奢な住居兼アトリエでアーティスト同士が交流する宴を繰り広げていたという。

 17区のヴィリエ通り、約3年に及んだ改修工事を終え今年5月末に再オープンした、ジャン=ジャック・エネール美術館は、そんな19世紀の華やかなアーティストが暮らした3階建て住居兼アトリエ跡にある。印象派の画家たちに比べるとイマイチ知名度が低いジャン=ジャック・エネール(1829-1905)だが、当時のパリにおいては、アカデミズムの中でもとりわけ重要な画家と認識されていた人物。1903年にはレジオン・ドヌール勲二等を受章しているほどの、いわゆるエリート画家だった。

晩年のエネール。当時ピガール広場にあった自身のアトリエで。© RMN

晩年のエネール。当時ピガール広場にあった自身のアトリエで。© RMN

 ただし、この美術館を住居兼アトリエにしていたのはエネール自身ではなく、同時代に生きた画家ギヨーム・デュビュフ(リヨン駅ル・トラン・ブルーやエリゼ宮の装飾画を手がけた)。デュビュフの死後、売りに出された物件を1921年にエネールの甥の未亡人が購入、1924年に美術館をオープンした。社交家だったエネールは、生前デュビュフ邸の宴に足を運んだこともあったと推測されている。(かたや遺産売却、かたや美術館設立と、画家は死んでしまってから格差が大きく広がることも…)

 美術館に一歩足を踏み入れると、地中海地方を思わせる鮮やかな色の壁、アジアやエジプトに影響を受けた装飾品など、さまざまなスタイルが混在する19世紀のパリ流インテリアが今も広がる。当時の大スター然とした画家の優雅な暮らしぶりを体感しながら、エネールの生涯にわたる作品およそ300点を、故郷アルザス時代~ローマ留学時代(または太陽と海とイタリア女を満喫した青春時代)~サロン・デビューを果たしたパリ時代と、時系列に沿ってゆっくり鑑賞したい。

 「Jardin d'Hiver」で開催されたイベントの一コマ。 © Musée Henner

「Jardin d’Hiver」で開催されたイベントの一コマ。
© Musée Henner

 再オープンにあたり、「Jardin d’Hiver」も一般公開された。もともとは庭だった部分にガラス張りの天井を設けて温室のように改装した場所で、当時は植物を多く飾ったエキゾチックなサロンとして連日大勢のアーティストでにぎわっていたのだそう。フランス人初の国際的スター、舞台女優のサラ・ベルナールも訪れたとか!

 今秋より、美術館ではそんな19世紀のアーティストたちの宴を再現する、絵画と音楽とダンスのイベント、「Nocturne spéciale dessin, musique et danse」を随時開催中。 また、美術館の周辺、特にフォルテュニー通りには、他にも19世紀のプレーヌ・モンソーの面影を残すおもしろい建築物が並んでいる。帰り道、ぜひ建築散策もしてみては?(裕)

元食堂には、オランダのデルフト陶器と中国装飾によるめずらしい暖炉が。

元食堂には、オランダのデルフト陶器と中国装飾によるめずらしい暖炉が。

 

balade05■  子供向けアトリエ、大人向けデッサン教室、ガイドツアーなども。
日程確認・予約はHPにて。
11h-18h (毎月第2木曜-21h)
火・一部祝日休  6/4€
www.musee-henner.fr


Musée Jean-Jacques Henner

Adresse : 43 av. de Viliers, 75017 Paris
TEL : 01 47 63 42 73