ルノー自伝『迷える子のように』を読む。

 

zizique02 長年の強度のアルコール依存症のため再起不能と言われていたルノー(64歳)が、9年ぶりに新作アルバムを発表し、音楽CD業界危機の昨今からは考えられぬ破格の50万枚の売上でチャート1位を独走し、この10月から来年5月まで「フェニックス・ツアー」と称する全国ツアー (パリ・ゼニット10回ほぼソールドアウト)を敢行する。フランスではテレビ特番が組まれたり、20時ニュースで報道されるほど、このカムバックは社会現象となった。反骨と毒舌の世相読みシンガーであり、『ミストラル・ガニャン」』(2015年フランステレヴィジョンの投票でジャック・ブレル『行かないで』、 バルバラ 『黒いワシ』を抑えて、フランス人の最愛の歌に選ばれた)のような心優しい歌でも親しまれるルノーは芸歴45年、レコード総売上2千万枚の超重要アーチストである。英国首相サッチャーを揶揄した歌で国際問題を起こし、仏版バンド・エイドでエチオピア飢饉救援の歌を作り、コロンビアのジャングルで6年間捕虜となったイングリッド・ベタンクールの釈放を歌で訴えた。その郊外ツッパリのポーズ、その政治的アンガージュマン、コリューシュ、ゲンズブール、ミッテランと親交があったことなど彼の来歴はよく知られているが、何ゆえのアルコール地獄への転落であったのか。本稿で紹介する5月26日に出たルノー自伝『迷える子のように』は、この問いへの複数の答えがある。

キーワードは “Culpabilité”(キュルパビリテ=罪責感)である。この男は身に憶えのあることもないことも、自分の罪として背負い込む性向がある。

自伝は家族の秘密から始まる。長く明かされなかった、長姉が父親の前妻の子であったこと。その前妻はもうひとりの子と共に、1944年ノルマンディー作戦の際にアメリカ軍の空爆で死んでいる。少年ルノーは父親に自分の母との前に違う人生があったことに動揺し、その保たれていた秘密ゆえに父親との距離があいていく。父オリヴィエ・セシャンは推理小説や児童文学の著述家であったが、6人の子を養うために教師として休みなく働かねばならなかった。左翼気質ながら厳格なプロテスタントであった父は、ルノーの長髪が許せず、食卓の同席を禁じる。16歳で68年5月革命のバリケードの中にいたルノーは、学校に行く意味を見出せずバカロレア受験を放棄して父を激しく落胆させる。その出来の悪い反抗児が数年後には歌手として成功し、その数年後にはスーパースターになっている。父がこれを心から祝福していないことをルノーは感知している。そして80年代のある日、父の書斎に置いてあった日記を盗み見たルノーは身の凍る思いがした。

 Je n’en peux plus, le succès de mon fils me tue. (もうだめだ、息子の成功は私を殺してしまう。)

生涯を子供たちの養育に費やして老いた父は遂に大作家になることも大作を残すこともできず、息子の成功に圧殺される。ルノーの父への罪悪感は2006年に95歳で亡くなるまでルノーに重くのしかかっていた。

金持ちになることへの罪悪感も激しい。郊外ツッパリとしての出自を失わないために、ツッパリ仲間たちを裏切らないために、ルノーは得た大金をエコロジストNPOや運動家たちに寄付しまくる。所得額を実際より多く申告して、税額を増やそうとしたこともある。

zizique01

それは一種の共産主義コンプレックスで、母方からも父方からも世の不公平・不平等を撲滅する思想の血筋を受けていて、特に北フランスの炭坑労働者で共産党員だった祖父オスカーを篤く尊敬していた。スターリニズムの非道さを糾弾しながらも、共産主義は自分の身内の思想だった。ところがルノーは共産主義から2度も手ひどい仕打ちを喰らっている。1985年、新指導者ゴルバチョフのソ連に招かれたルノーは、雪解けて言論的にも自由が拡大したと思われたモスクワで、1万人の学生たちを前に歌い、自作の新しい反戦歌(即ち暗にソ連アフガニスタン侵攻を批判)を歌い始めたとたん、前列を占めていた3千人が立ち上がり、そそくさと退場したのである。ルノーに大恥をかかせるために党から前もって仕組まれていた罠である。立ち上がれないほどのショック。その12年後、1997年、ルノーはキューバに招待されている。そこでキューバ政府からあてがわれた運転手兼ガイドの挙動が度を越して奇妙だったため、彼が常に携行している黒いカバンに盗聴器か爆弾が仕掛けられているとルノーは妄想し、真正のパラノイアと化してしまう。コミュニストは俺を暗殺しようとしている。その恐怖はフランス帰国後も変わらず、いたるところに暗殺者の姿を見てしまう。

こうして底なしのアルコール依存症に転落していくのであるが、彼を支えようとしても支えきれなかった最愛の女性ふたり(ドミニクとロマーヌ)との関係も痛ましくも美しい。2015年1月7日、かつて彼も執筆者であったシャルリー・エブドの仲間たちが惨殺され、1月11日、泣き腫らした顔でレピュブリック広場をよろよろ行進するルノーの姿があった。数カ月後、彼はペンを執り再び歌を書き始めた。悪夢から醒めたように。一頁一頁がエモーショナルな自伝である。

文・向風三郎


806