仏西部ロワール・アトランティック県はナントに近い農業地帯、ノートルダム・デ・ランド(人口約2100人)に新空港建設計画が生まれたのは1963年のこと。60年代は、日本なら全共闘による成田空港建設反対闘争が繰り広げられ、フランスも70〜80年代にかけて、中央部のラルザック平原1万4000haの軍事基地拡張計画に対する反対運動が盛り上がった。
筆者も1970年7月、乳児を乳母車に乗せて三留理男氏の成田闘争の写真集を持参して現地ラルザックでの抗議集会に参加した思い出がある。ヒッピー世代や平和主義者たちの野外集会はバカンス気分があふれていた。当時ラルザックの農業従事者だったボヴェ現EU議員も加わった。この反対運動が長引くのを危惧したミッテラン大統領は、ラルザック軍事基地拡張計画を断念した。
国際空港建設という経済第一主義の敗北
ノートルダム・デ・ランド地元の県会議員や商人、ホテル業者らは新空港建設に賛成し、2016年の住民投票では55%が賛成した。50年以上政府が引きずってきたこの新空港建設計画をめぐる抗争が泥沼化するのを恐れたマクロン政権は、1月17日、当計画の全面的中止に踏みきった。
20年ほど前から農業従事者の中には農地を売却した者もいる。この数年、農業地帯6300haを守るために4月10日に激化した官憲との攻防戦では、エコロジー派の活動家約300人がZAD( Zone d’aménagement différé「整備地区」を活動家たちが Zone à défendre 「守るべき地区」と呼ぶようになった。そこから、活動家たちはザディストと呼ばれるようになった)を守るために、各所に掘建小屋を建て不法占拠し、道路を封鎖し続けてきた。この数年以来、警官隊との攻防戦が続いてきたが、4月10日には、県知事や内相による退去命令にも従わず2000人もの警官隊と衝突した。
もうじきザディスト村が生まれる
ラルザック軍事基地拡張に反対した活動家と異なるのは、農地をすでに売却した者は同価格で買い戻せ、以前の農業活動を再開することもでき、また支援活動家として数年前から運動に加わったエコロジー派の若者たちの中で居残りたい者は、公有地1400haのうちの270haを団体で借り受け、各自が実現したいと思う事業企画を申請することもできる、4月23日の申請期限までに41件の企画書が提出されたという。それらの中には農業、畜産業、乳製品製造業、工芸品製造、パン作り、ビール醸造業、文化活動などザディスト特有の農地文化村が生まれそうだ。
フィリップ首相は無登録の不法占拠者の退去期限を5月14日までとした。居残る者の地代は、永代賃貸契約(99年)として管理組織に支払う形に。これから10年、20年後、空港になるはずだった地域を自分たちのものにしたザディストたちが生み出すエコロジー・コミュニティーが成長していくことだろう。もしかしたら自然を堪能できるバカンス地になるかもしれない。