ダッソー戦闘機といえば、フランス産業の花形。初代マルセルに継ぐ2代目セルジュ・ダッソーが5月28日、93歳で亡くなった。ダッソーといえばマルセル(1892-1986)の名がまず思い浮ぶほど息子セルジュの名は影に隠れがち。仏政界と切っても切り離せない伝説的存在であるマルセル・ダッソー親子の生涯を追ってみよう。
ナチ強制収容所も経験したマルセル・ブロック
マルセル・ダッソー(実名マルセル・ブロック)の母親はオスマントルコ帝国有数のユダヤ系富豪貴族出、父はアルザス出身のユダヤ人医師。兄はアウシュヴィッツで死去。マルセルは第1次大戦中、航空機研究所に動員され、1915年に作製したプロペラ機「エリス・エクレール」を仏軍隊が採用。1928年ポアンカレ大統領が空軍省を新設、1933年マルセル・ブロック社は戦闘機を製造。しかし、同社は数年後、左派連合政権「人民戦線」が国営化した。40年、マルセルはナチ協力を拒否しカンヌでゲシュタポに捕まり44 年ドイツのブーシェンヴァルト収容所に送還され、52歳のマルセルは収容所で出会った共産党員に助けられる。46年、マルセルは、レジスタンスで亡くなった兄の偽名〈Chardasso〉を借りて「マルセル・ダッソー」と改名、50年にユダヤ教からカトリックに改宗。
マルセルはシラク元大統領の父の元協力者だったことから急速に政界に接近し、当時のパリ・マッチの対抗誌として〈Jours de France〉誌を、62年保守日刊紙〈Minute〉を創刊。さらに1978〜86 年、エッソンヌ県オワーズ県(修正:2018-06-11)から国民議会議員に当選。1981年ミッテラン大統領の国営化政策を逃れるため国に26% の株を譲渡し、ダッソー社は人民戦線政権以来2度目の国営化を免れる。
戦闘機・武器独占企業へ、そしてメディアに進出
父親が歩んだ学歴とやや同じ航空エンジニアの道をまっしぐらに進んだ次男セルジュは、あまりにも存在が大きすぎる父親のパパっ子として、1987年、戦闘機・民間機・兵器産業ダッソー・グループの社長に。シラク以後の各仏大統領・国防省と密接な関係にあり、中東・インド・南米諸国まで戦闘機・武器の輸出を拡大していった。セルジュはエレクトロニクス分野を重視し、ソフト関係も含めたダッソー・システム社を設立。生前までダッソー・グループ(持株会社)の会長の座にあった。セルジュ会長は、2014年ダッソー・グループ後継者として、4人の子どもの誰にも継がせず、先代以来、社長の片腕となってきた80歳のシャルル・エーデルステンヌ氏を3代目として選んだ。では4代目は? と政財界は興味津々。
親子とも最終的野心は政治家になることだった
セルジュは父親の政財界進出コースを踏襲し、83年以来、コルベイユ・エッソンヌ市から市議会・県議会・上院選へと出馬し、市長にもなっており、04年上院選では79歳で当選した。しかし、08年市議選での票買収疑惑が発覚し、被選挙権が剥奪された。17年2月には資金洗浄・脱税罪で罰金200万ユーロと5年の被選挙権剥奪刑を受けたが、高齢のため収監を免れる。
04年、ブルジョワ紙といわれる『ル・フィガロ』を買収。自ら同紙に執筆し、編集にはかなり目を光らせる。その他オークション会場アールキュリエル、ワイナリー・シャトーも所有し、仏5位の億万長者に。故セルジュ会長の政治路線は単純そのもの:富裕税廃止。週労35時間制を止めて39時間にすべし。失業手当を減額。労働組合を嫌悪する。同性婚・ホモに反対「ホモ社会になったら10年後には人間がいなくなる。古代ギリシアが退廃したのもそのため」(国営放送インタビュー:12-11-7)などと発言している。