MoDem系閣僚が次々に辞任
6月初めにマクロン大統領が任命したバイルー(民主運動党MoDem党首)法相とバイルーの片腕マリエル・ドサルネーズ欧州相、同党の中心人物シルヴィ・グラール軍事相が6月20日以後、次々に第2次内閣に参加しないと表明した。理由は簡単だ。彼らが欧州議員として10人程の秘書に欧州議会の仕事よりパリの党本部の仕事をさせ、給与を部分的にEU議会に支給させた疑いが持たれていたからだ。国民戦線党FNのルペンがしていたのと同じように党職員の給与捻出のやりくり操作の裏が明るみに出たといえる。ちなみにFN の欧州議会架空雇用給与疑惑は500万ユーロに上る。
MoDem元職員による通報
検察局は、MoDemの元広報担当、28歳のマチュー・ラマール氏(現在イダルゴ=パリ市長の広報担当)の通報により6月7日、バイルーと上記閣僚に対する「背信・隠匿」容疑の予備捜査を開始した。1カ月前にバイルーを法相に任命した直後にマクロン大統領が中道の大御所バイルーに「政界のモラル向上」草案を依頼した。政治家のモラル向上に努めようとする前法相自身がこの新法案に足を取られたようで、まさに墓穴を掘ったというほかない。同党をバイルーとともに設立したコリーヌ・ルパージュは著書『Les Mains propres(清潔な手)』で同疑惑に触れている。彼女によれば、09年欧州議会選挙に当選したとき、EU議員として秘書の1人を必ずパリ本部で働かせることに同意させられたが拒否したという。
バイルーとマクロンの関係
フランソワ・バイルー(66)は中道政治家として93〜97年、右派政権で教育相を務め、欧州議員(99-02)後、14年からはピレネー近くのポー市長。すでに3回大統領選に出馬し、今大統領選にも出るはずだったが若き大統領候補マクロンの前で自分がドン・キホーテに思えたのではなかろうか。昨年春、38歳の政治経験もない、オランド政権の元経済相マクロンがオランド大統領に反旗を翻して運動団体「前進 ! 」(後に共和国前進!)を設立した。そうした時期に、将来が未知数のマクロンに手を差しのべたのが前世代の政治家バイルーだった。老練な政治家バイルーがマクロンの肩を持ったのだから、「左でも右でもない」というマクロン候補に左右両派の高年層も安心したのは確か。
崩壊寸前の MoDemをマクロンが救う
バイルー陣営の内状を明かすと、L’OBS(17-6-22)やLe Monde(17-6-23)によると、総選挙07年(当選3人)、12年(2人)と、国が払う政党支援金(1票につき1.60€)が以前の350万ユーロから一挙に78万ユーロに減額。党勤務の25人のほとんどを解雇しパート6人に縮小。7区(rue de l’Université)にある党本部の家賃も払えない状況に。党財政が危機状態にあった99年〜2014年、EU議員6人の「地方」秘書として、ブリュッセルにも行かない秘書10人の給与をEU議会の給付金でまかなうやりくりが続いた。16年春、マクロンの新党は中心となる大物政治家を必要としていた。マクロンはバイルーに資金援助する気持ちはなかったが、マクロンとの政治討論会費用として2万5千ユーロ、バイルーの遊説出張費1万5千ユーロなどをMoDemに支払い、それが同党にとって酸素吸入の役を果たし、選挙運動中、協力者の給与や運動費として16万ユーロを提供しているという。なんと気前のいいマクロン! そして今選挙でマクロン推奨候補としてMoDemから42人が当選し、マクロンはバイルーに対する義理を果たしたといえる。
バイルーとは持ちつ持たれつからマクロンにとって邪魔な存在に
MoDemのEU架空雇用疑惑が表面化するやマクロン大統領は、閣僚の疑惑爆弾を抱え込まないために専制的即断即決の大統領ぶりを見せ、6月21日、フィリップ首相とともに内閣改造に踏み切った。辞任したバイルー前法相の代わりに押しも押されぬ憲法評議会メンバー、社会党のニコル・ベルベ他、新顔の10人を入れ、その中に2人のMoDem党員ダリューセックを軍事相付閣外相に、ジャクリーヌ・グローを内相付大臣にし、バイルーの機嫌をとる。
マクロン大統領就任1カ月後に閣僚4人が疑惑捜査対象となったつまずき(フェラン前国土連帯相の不動産取引疑惑も含む)がマクロン政権の汚点として残らないようにし、大半をマクロン世代の閣僚(男女15人ずつ)で固め、国民議会議員も平均年齢48.7歳と世代交代に成功した。これからの任期5年のポジティブな跳躍力になるか。