大統領はマクロン? ルペン?

L’OBS(17-4-25 )「ショック:二つのフランス」

 4月23日、大統領選第1回投票の結果を国民は宝くじの当選番号を待つようにはらはらとして待った。マクロン(En marche ! 進め!)23.86%、マリーヌ•ルペン(国民戦線 FN)21.4%、フィヨン(共和党)19.94%、メランション(不服従のフランス)19.6%、アモン(社会党)6.4%…以下6人。誰もがFNの急上昇に危機感を覚えたのか投票率は78%と高い。
 前経済相エマニュエル・マクロンが、たった1年足らずの選挙運動で大統領選有力候補になり5月7日、ルペンとの決選に ! ここで気をつけねばならないのは、米大統領決選前に自信満々だったクリントン候補のトランプとのどんでん返しの二の舞を踏まないことだ。

15年間のマリーヌ・ルペンの歩み

 15年前の2002年4月21日、社会党候補ジョスパンがマリーヌの父親ジャン=マリ・ルペン候補に次ぐ3位になり、左派投票者は鼻をつまんででもシラクに投票し(82%)、ルペンをエリゼ宮から遠ざけた。世調調査によると5月7日、マクロンに投票しようとする人は62%、ルペンは38%だ。この15年間マリーヌ・ルペンが主導する排外的ナショナリズムは、隣国の極右ポピュリズムの勢いに合わせて、フランスの政治に見捨てられたと被害者意識を持つ下層市民や地方の過疎地住民、失業者層は彼らを救うジャンヌ・ダルクとしてマリーヌを支持する。14年EU選挙470万票(25%)、15年地方圏選挙600万票(28%)、今選挙760万票と、ちょうどヒトラーが選挙ごとに地盤を広げファシズムを浸透させていったのに似ていないか。

マリーヌ・ルペンを阻むため

 マリーヌは第1回投票の晩、「私はフランス人を解放する」と叫び、まるでドゴールになり代わる。オランド大統領も危機感からか選挙翌日、「極右党の存在はフランスに新たな危険を及ぼす。わたしはマクロンに投票する」と異例の表明。社会党陣営はもちろんマクロンに投票し、アモン、フィヨンも悔し涙を抑え、「マリーヌ・ルペンを阻む」を合い言葉に、共和党陣営もサルコジ以下次々にマクロン支持を表明し、異様な戦時態勢になったよう。「ルペンを阻む」キャンペーンに乗らないのは、EU離脱を唱える極左メランションだけ。

二大政党制の終焉のあとは?

 今回の選挙が今までになく歴史的といえるのは、ミッテラン以来35年続いてきた左右二大政党制が、マクロンの「左でも右でもない」政治運動〈En marche!〉で瓦解したのと同時に、アモン社会党候補の悲惨な得票率によって左派市民は社会党の終焉を見せつけられたことだろう。シラク以来継がれてきた保守派共和党の存続も不確かになっている。フィヨン夫妻の「ペネロープゲート」が政治から市民を離反させ、怒りの棄権と白紙投票ムードを強めているのは否めない。

マクロンとルペンの対極政治のどちらか。

 マクロンの「外に開かれたリベラルなフランス」に対抗するルペンの対グローバリゼーション「閉じられたフランス」か。前者の「強い欧州連合の中の確固としたフランス」に対し「フランス人によるフランス人のためのフランス」を目指し、英国のように国民投票によりEUから離脱しユーロ通貨からフランに戻ることを目標とする「愛国的孤立主義」か。

マクロンとフランスの将来

 被選挙経験のない39歳のマクロンは元銀行幹部というネガティブな市民の偏見にもかかわらず、イデオロギーよりもプラグマティックな経済・社会政策でスカンジナビアやドイツ連立内閣のような政治を展開していくことを目指している。4月23日夜、マクロンは最有力候補に選ばれた喜びを、「わたしの今は彼女なくしては叶わなかった」と24歳年上の賢夫人ブリジットさんを称えた。そしてサルコジが当選した夜選んだシャンゼリゼのフーケッツではなく、モンパルナスのロトンドで祝ったのもマクロンらしい。