エマニュエル・マクロンの2004年以来の歩みは財政監査役からロチルド銀行幹部、エリゼ宮副官房長官、オランド大統領顧問、ヴァルス内閣の経済相と、ジェット機の勢いで登りつめたところで16年4月、「左でも右でもない」(言い換えれば、左でも右でもある)政治団体En marche !(進め!)を設立し、同年11月、大統領選に立候補した。オランド大統領が「息子」のように育て上げた挙げ句、カエサルを背中から刺して暗殺したブルータスに喩えられたマクロンは若干39歳。オランド大統領が再立候補しなかった理由はマクロンが立候補したためだといわれている。
マクロンが立候補したとき、くちばしの黄色いマクロンが? 選挙の洗礼も受けていない若輩が !? ロチルド銀行で働いていたのだから金の計算はできても実社会を見たことがない、とバカにされた。マクロンが大統領になったとしても「左でも右でもない」陣営En marche!を支持する議員が国民議会で過半数を占められるのか。このようなハンディキャップを承知しながら、怖いもの知らずのマクロンはダイナミックな新鋭スターぶりを発揮する。ミッテランやシラクの旧世代に代るIT世代の大統領として左派、右派などの殻を破り「ポジティブなリベラリズム」を打ち出し、「開放されたフレキシビリティ」のある社会、スカンジナビア風社民主義を唱える。En Marche ! 設立後1年で支持者23万人の50〜7000ユーロの献金により選挙運動資金が約900万ユーロ集まったという。
マクロニズムという新語も生まれるほどマクロン旋風に引きつけられる賛同者•支持者は現•元閣僚、議員、実業家、文化人、民間人までその幅の広さに驚かされる。その先頭をきったのがドラノエ前パリ市長、注目されたのがルドリアン現国防相、そしてバイルー中道派Modem党首がマクロンと手をつなぎ、サンローラン財団会長ピエール・ベルジェ氏、コーン=ベンディット、クシュネール元外相、元コロンブ=リヨン社会党市長他多くの市長や上下院議員、共産党ユー元第一書記、かつての悪名高きチベリ元パリ市長、リベラリズムで有名なマドラン元経済相(1995)と、党派を超えて元閣僚たちも次々にEn marche! になびく。3月29日ついにヴァルス前首相もマクロンに賛同したから、ヴァルスの裏切りに社会党支持者は動転する。アモン社会党公認候補から「アウトサイダー」マクロンに鞍替えしたヴァルスに社会党籍剥奪の噂もちらほら。マクロンは大統領に当選したら、賛同者の中から新内閣の閣僚を選ぶのは極力避けて半数は民間人から選ぶとしている。そのあと6週間後に国民議会議員選挙、マクロン政権が生まれたとして、左右混在の国会の荒波の中で遭難しないだろうか。
「マクロンは誰と統治できるか ?」という見出しでL’OBS(17-4-6)に掲載された世論調査(3/23-28)によると、第1回投票(4/23)のマクロンの予想得票率は25.5%、マリーヌ•ルペン25%、共和党フィヨン17.5%、極左メランション14.5%、社会党アモン10.5%と、ルペンを抜いて1位に。マクロンに投票しようとする人の72%は「将来に楽観的」と答え、ルペンに投票しようとする人の71%は「将来が暗い」と答えている。つまりマクロン支持者は中層以上や高学歴者が多く、ルペン支持者は労働者や中層以下の人が多いとみられる。マクロンとルペンが決選(5/7)に残るとしたらオプティミストとペシミストの2層に分かれるのか。ルペンはどこかで聞いたことのある言葉「人民の、人民による、人民のための政治」を真似て「フランス人の、フランス人による、フランス人のための政治」を唱え、欧州連合からの離脱を説き移民・難民憎悪のデマゴジーの魔法の杖を振り回す。
3月以来、立候補者11人のケンケンゴウゴウの選挙戦とテレビ討論会にも市民は食傷気味、フィヨンのペネロープゲートやルペン派のEU議会集団架空雇用疑惑など種々のスキャンダルの暴露で有権者は政治家への不信を増し、棄権するか白紙投票に逃避する人が多いのでは。